ありがとうございました。

 
誕生日パーティーには、お忙しい中いらっしゃって頂き、有り難うございました。
(関西からも何名かいらして頂き、本当に感謝申し上げます)
今日のパーティーは横浜道場ではなくエアジンというライヴハウスで行い、私も演奏させて頂きましたが、
「幸せの氣に満ちていた」と仰ってくださった方が何人もいらっしゃり、
こうして皆さんに恩返しができることをうれしく思いました。
何よりうれしく思うのは産んでくれた母かな、と思い、
今日いらしてくれた方々のことの報告をしようと電話をすると、電話をとったのは父。
いつも会報を読まぬ父が、今回だけは一頁だけ読んでいたらしく。
(相変わらず勘が良くて困る)
「お前はお母さんに感謝すると書いておるが、お父さんがいなければお前はいないのだぞ」
…との事。
その言葉を言わせた想いを考え、思わず爆笑したくなったが、
「でも、今日はお母さんの日で、お父さんの出番はその前だったからね」
と言うと滅多に笑わぬ父が笑う。
誕生日くらい、幸せを味わってもいいかもしれない。
そして、この今日の幸せの氣が多くの皆さまに伝わりますように。
感謝と共に。

水無月、近況

もうすぐ誕生日。
誕生日は「産んでくれた母に感謝を捧げる日」、と常々言っている。
この世に生まれて来てから半世紀。
様々な事があったが、生きているだけの歓びを感ずる今、私もまた改めて母に感謝を捧げたい。
(当日は丁度30年前からお世話になっているライブハウス関内エアジンにて
 これまた丁度30年前から共演しているつの健や親しき仲間とジャムセッションを行う。
 宜しければどうぞ。)
(震災の予後を祈りつつ・・・)

(以上、長谷川先生による2011年6月号会報掲載文章です。スタッフが代理で投稿しております。)

※なお、当日は大盛況のうちに終了致しました!
  皆様ありがとうございました。

裸足の医者養成コース【整体法修得講座】 第六回 (受講生J様からのご投稿)

  今日から後半総復習をする。

<質問>

Q1.基本パターンではうつ伏せから始まるが、体癖別操法では違うのはなぜか?

 

A.体癖別操法の観察などは練習のためのもの。実際にはうつ伏せから始めるのが基本のセオリー。もっと昔は座姿で上頚から始めた。慣れてくると背中を観察するとその人の運動の状況(どんな風に歩くのか、自動運動するのか、など)が大体わかってくる。しかしそういうことがわからなくても、手がいくようになれば大丈夫だが。

初心のうちにお勧めしているのは、操法の前に動診(前後、捻り、左右)をやってもらうこと。それから伏せで操法を始め、ラストにもう一回動診を行い、本人に変化を確認してもらう。それがよくなるという暗示にもなる。依存性生まれそうな時も、これをやっておくとよい。(愉気の不思議な力、何かよくなったではなく)今は体癖の勉強をしているので、この人は何体癖かを観察し、それに応じた操法をやる。6種は呼吸器が悪い。6種かわからなくとも、咳が出ていれば6種的になっている。そのような時は、虎の巻(これを見てよい。プロでも)の中の1or2個使う。(省いて、省いて、省いて・・)体癖別操法は宝石のような操法。ドンピシャならかなり大きく変わる。

 

H先生に整体操法をする機会に恵まれた。H先生の本は整体にとても役立つ。「整体する人になる」にまず役立つ。症状にとらわれない、それを悪者と見ないで、その人を取り巻く枠組みを見る。どういう枠組みで、どこがポイントか。「生命としての礼」としてやるなら、その循環、枠組みを見て、アプローチしていく。症状を悪者と見ないから、介入の仕方も悪いところ治しではない。

(人体に放射線の影響がどのくらいあるかという話の中で)深く触らないで、軽く触った方がよくわかる。指導者側が固定観念強いと、その枠組みで見てしまう。するとないものも出来てしまうということが起こる。また部分は全体を表すので、細かく見ていけば必ず潜んでいる異常を見つけてしまう。放射線の害は実際にあるのだろうが、野口整体の操法は、野口先生が長崎、広島の原爆被害を受けた方達をたくさん見てきて、できた操法。長谷川先生はそれを信じている。ガンなどでも、症状に目をとらわれるだけでなく、真っ白な頭で見る。

 

操法は月1回位受けるのがベスト。これは体育てのため(メンテナンスではない)。氣道ではカルテがある(エリクソンの影響)。野口整体系ではここだけ。しかしカルテを見ると前回の観念に影響されがちなので、気をつけること。阪神の震災の時、間口支部長も行っていた。H先生に、もし先生が行っていたらどうしましたか、と質問。すると「ガレキを運んだり、一緒に炊事したりするだろう。お役にたてなくてごめんなさい」と言われた。これを聞いて、「整体する人」だと思った。「整体はいいですね」とも言われた。そこで長谷川先生が「いや、整体もただ手を当てるだけなんです」というと、「そう、それでいいんです」と言っていた。そして「ドミノ倒しのように」という言葉も言っていた。

成瀬先生、青木先生、H先生、皆に操法させていただいたが、皆個性は全然違うが、共通した太さを感じた。H先生は首から上が生きている人と思えない。ビリビリしたらいという感応がない。整体を受けたことのない人で、あれだけ首や頭につっかかりのない人は初めて。いいところ探しをするのが整体の大事なポイント。

 

Q2.上肢第7の観察にて、対象とする腕は弛緩した側、硬い側のどちらか。

 

A.気の通りの悪い側(愉気をしてみて)を対象とする。それが上肢第7や頭部第4などでは、弛緩していて気の通りが悪いことが多い。気になる側を対象とする。野口整体では妊娠中は、首から上、足は触れないのが基本。しかし長谷川先生はそれも一つのドグマではないかと思い、昔から触れている。必要なことも多い。手術後も触らないのがセオリーだが、触ることもある。

 

 

Q3.3種の人に食欲増進の操法をしてもよいか。

A.ケース・バイ・ケースでよい。胃の働きがよくなり、少しで満ちるようになることもある。勢いや目、頭で余計に食べてしまうこともある。

 

 

  2人一組で10分ずつ交代で援助をする。初回に組んだ人と組む。) → 総復習のため、その後先生の見本。背骨の観察をとばしていた人が多かったが、初めと最後にこれを必ず行なう。(わからなくともやる。観察10年)指圧やマッサージでも。整体はこれらより優れているなどと言いたいのではない。大切な事は同じ。その根本の部分を伝えるのがこの講座。背骨の観察は中指で行なう。技術は年をとると落ちていくことがあるが、これを丁寧にやっていると年とっても技術が伸びる。D4,8,9は連動がある。8,9が元気になると4も元気になってくる。下頚(C7、4側)を押さえると、D4心臓が楽になる。ドキドキと動悸がしたときは、C7を自分のこぶしで叩くとよくなる。C6,7、D8,9は血管が広がる。D4,8を交互にドンドン叩くと心臓の体操になる。D4左に違和感なしの動悸は大丈夫。これは疲れなどからくる一時的なもの。足の裏を踏んでもらうとL3の捻れによい。

  心臓が悪い人はD4だけでなく、腹部第4の左の一番上にも硬結がある。

  6種体癖は湿気に一番弱い。(呼吸器が弱いので)

  持ち上げて頭が軽い人は頭良い。子どもでも重い人がいる。

  操法では基本的には「大丈夫だよ」ということを伝えていく(嘘でなく)。心臓はD4に硬結なければ大丈夫。頭は右頭部は血が下がってくるところ。よって上頚右が硬くなっていなければ大丈夫。

  (2人一組で吸時に仰向けから頭を起こす練習→呼吸の同調) 

みぞおちに愉気しながら上頚に手を当てて、吸の時に起こす。これは難しい。上手くいく時は、相手が協力してくれたように感じるもの。「相手の息にあらず、自分の息にあらず。自然の息なり」野口晴哉談。これは何でもそう。そして上手くいったときに、そこでやめるのが大切。

  整体操法にも、それぞれ個性がある。井本先生、金井先生、皆違う。野口先生から教わった時期で違う。野口先生は、ある一定期間、一つのことを徹底してやっていた。壮年になってから、いろいろなことを教え始めた。よって野口先生は教わった時期、そして先生の個性によってリズムも内容も違う。リズム()は結局自分のリズムになってくる。機度間の機は自分にある。速い人、遅い人いるが、遅くても間抜けはダメ。大事なのは、自分のリズムを大切にしながらも、相手を尊重すること(愉気)。初めはどんな時も相手の呼吸に合わせる。吸時に移動して、吐時に止まる。操法は流れの中にある(片手は必ずどこかにおいておく)が、ポイントは点で。愉気でも点で感じられるように。面でも効果あるが、変化が遅い。流れは腺、行なうのは点。

  何をやっていいかわからない時は、相手の息を大事にしながら、運動性の刺激(揺さぶりのようなもの)を呼吸に合わせて加える。

  ポンと放した時も、線の動きで余韻を作る。岡島先生は必ずそうしていた。これは気が切れないということ。気が切れなければ、いきなり点で操法してもよい。しかしどちらかの手は離れないこと。操法は9種的だが、俳句の中にも5・7・5のリズム、線がある。そのあたりのところを大事にすること。

  気さえ合っていれば、なぜなのかよくわからなくとも、話は通る。中華街での2人のおばちゃんの話の例。双方がてんでバラバラの話をしていても(自分の話すことしか考えていない)、コミュニケーションは成立する。接続詞だけはうまい。昔のトヨタのセールス話法はイエスbut法。これは今は古い。今は順接でつなげるとよい。肯定話法。接続詞は「butけれども」よりも順接に使った方が、相手は話を聞いてもらった気がする。(日常ではbutけれども等使うこともあるが)操法の時に言われた言葉は残る。暗示になる。(例:沖縄から来たりして、10分の操法の時に言われることは大きい)

  今日のテーマは「暗示」。「明日の朝、スッキリ起きれますよ」などは「明示」。「明日の朝のコーヒーは格別ですよ」と言う。スッキリ起きれない人に前のように言うと抵抗がおこる。「目覚めがスッキリしますよ」という言い方にする。「よく眠れますよ」ではなく・・。

  暗示の例:ある方が朝食を食べたくないのに食べていた。岡島先生をとても信仰されている方だったので、「岡島先生ならなんと言いますかね」と言った。このようなやり方で、相手の心にあるイメージを起こさせるとよい。

  イメージ、たとえ話、エピソード、これらの達人がキリストやブッダ。エリクソンもたとえ話、エピソードが上手で、饒舌だった。相手がエピソードだけ覚えていればよい。そして、それさえも忘れるともっとよいと言っていた。野口先生は逆に一言で変える。H先生の本の最後の、僧が女の人を抱いて川を渡るエピソードも「この本の内容も忘れてね」ということではないか。

  明示、イメージ、たとえ話、エピソードという方法はあるが、明示が必ずダメなわけではない。例えば「腰は大丈夫ですかね。旅行に行けますか」などの直接的な問いの答えには、明示が必要。明示だと抵抗を生んでしまう時は、オブラートに包む。経験積んでくると、「どのくらいで治りますか」と言われた時に、「あの人は2週間くらいでしたね」などと言う。「あなたは2週間で治る」とは普通は言わない。

  どんな会話も実は暗示。人間に自由意志はない。自分で決めたと思っていることの中でも、今までの暗示によって培われたものの表出。「私たちの心は全て暗示でできている」と野口先生は言っていた。エリクソンはそこまでは言っていない。ある実験でわかったことだが、「自分がこうしよう」と意識で決める前に脳波が動いていることがわかっている。これは無意識の動きが最初ということ。観念や暗示はコンピュータのソフトのようなもの。よってH先生はそれを見ない。良い悪いではない。コミュニケーションは全て暗示になる。

  100%暗示だが、そこからの解放を野口先生は目指した。初めは心理指導しかしていなかった。野口先生の家に泥棒に入って、包丁を畳に突きつけた男の話。先生に気合をかけられ動けなくなった。「不動金縛りの術」と先生は奥さんに言ったが、これは暗示。もうしません、と約束させて放してあげた。これと同じで、人は今までの暗示に縛られている。野口先生は途中から体の大切さに気づき始めて整体をやり始めたが、それ以外にやっていたのは暗示。そして逆説的だが、暗示によって暗示からの解放をした。

  まず自分自身が「整体する人」になり、そこから相手もそのようにイキイキ生きていける存在なんだと気づかせていくこと。肩こりなどあるが、症状はせきとめてくれているんだ、私は元気な存在なのだということをリフレイミングしていく。そこに暗示を使う。

 

<次回の宿題>

  2人一組になり、自分がちょっと気になっていること、変えたいことを相手に言う。そして話を聞く側が来週までに相手のためにたとえ話、エピソード(これをスクリプトという)を考えてくる。

  長谷川先生の見本

  整体では横になってもらえるので、上記のようなこともやりやすい。自然催眠法、トランス誘導法。これは愉気、呼吸の同調、気の感応のこと。変性意識のこと。わけがわからなくなるような、深いものだけのことではない。お風呂でハーッと気持ちよさを味わっているのもトランス。引越しもトランス。長谷川先生の意見では、人はいつも変性意識状態。純粋意識ではない。変性意識状態でなくなったときが覚醒。愉気することでリラックスを深めていこう、でよい。吸ではなく吐で触るのと同じように、吐でリラックスした時に言葉を入れていく。相手の潜在意識に届かすには、気の感応、愉気が大切。

  イメージはできたことをイメージさせる。しかし無理はさせない。たとえ話、エピソードを上手に使う。エリクソンはポリオで小児麻痺を患っていた。2回目の発作で突然動けなくなった。そこからリハビリに励み、指などで少しずつ動かせるようになっていった。これは達成困難な目標のある人に対してエリクソンが行なったたとえ話。充分にリラックスを誘導して行なうが、日常生活の誘導のようにさりげなく誘導する。ヨーガのときのリラックス誘導と催眠誘導は同じ。催眠は特別なことではない。日常の中でいくらでもある。吉本先生は現代催眠を提唱した。吉本先生は催眠という言葉をリフレイミングした。(催眠は日常的なこと、特別なことではない)催眠をかけようとしないことで、催眠に導く。それには気の同調が大切。

 

<骨盤操法>

  初めから背中の上に行かないで、下に行くこともある。土台づくりのようなもの。土台の弱い人に行なう。S2の穴に両指(女性の急処)、斜面の中央の位置。この脇に仙腸関節がある。その下に仙尾関節。お尻は肉付きのよい方がいい。体力の目安。しかし肉があるので、触れてもわかりづらい。々盤の上端からS2、仙腸関節、仙尾関節、尾骨を触る。∀卞骨でお尻にピタッと両手を置く。座骨を両親指でそれぞれ確認。

 

6種操法>

  普段から肩が上がっているのが特徴。肩の力が抜けない。森内名人は6種。暗い5種。5種が低調期になると6種的になる。

  呼吸器に疾患があると皮膚に出る。6種や8種に多い。アトピーは6種的な状態。

  言葉に情熱的。学生運動の代表者や、詩人に多い(北原白秋、中原中也→開閉もある、など)。呼吸器が弱いので、長い文章が書けない。女性はヒステリーな状態になる。何だかわからないけど(亭主がいない時に具合悪くなるなど)調子が悪くなる。意識と潜在意識が食い違う事が多い。これがそのまま体の変動につながる。表現できずにぜん息になる。

  野口先生「あなたはヒステリーではない。本当のヒステリーならお腹のここに硬結が出る」と言った。それでよくなり、帰った後に「ヒステリーではなかったんですね」と聞かれ、「イヤ、ヒステリーだよ」と言った話。

  リラックスしようとすればする程、肩が上がる。「宵っ張りの朝寝坊」は6種。朝早起きにすると、6種的傾向が減ってくる。

  エネルギーが余ってくると6種的になる。初めはワイワイうるさくなり、次に事故など、もっといくと内にエネルギーたまってしまい発散できなくなり内向する。そういった状況から分裂症になったりする。そのような時は頭部第5が突出してくる。

  足裏のかかとよりの真中(中指のライン)から(下肢第1)、真っすぐのラインを両親指で押さえる。泌尿器系、腎、呼吸器にもよい。5種が捻れてきたときによい。他の体癖も捻れるとここにくる。気の通りの悪い側(捻れは弛緩している側のことが多い)が対象。後は実技レジュメ参照。

 

 

<宿題>

  先程のたとえ話、イメージ(スクリプト)を考えてくる他に、今までの宿題の継続。肯定話法、身近な人に「ですます」調で話す。この時、言われて気持ち悪いと思ったら教えてね、と周りに伝えておくとよい。気軽な感じで使う。操法を大切にしている気持ちから自然発生的に出てくるもの(ですます)。

  寝る前のリフレイミング。日中にも行い、寝るときにまだ残っていたら行なう。この時に残っているものだけ。日中からリフレイミングを行なっていると、夜はやるものがなかったりする。それでよい。

  リフレイミングとホオポノポノと、心の学校で教えているフォーカシングを原型とした、内観愉気をどのように融合、使っていったらよいかと、H先生に質問した。次回それを言う。とにかくリフレイミング、リフレイミング、リフレイミング。内観やホオポノポノでもとれないものは、リフレイミングしかない。(こじつけでもよいので)

  ホオポノポノのキューレ博士は、会っていないのに精神病患者のカルテを見ながら、ホオポノポノをやった。(長谷川先生はこれはダン先生の内観療法と同じだなと思った)すると皆病気が治ってしまい、精神病院がなくなった。そうして次の病院でも同じことをやり、ハワイには精神病棟がなくなった。ホオポノポノのことをH先生は知らなかったので教えたら、たいへん興味をもたれた。お勧め本としては「ハワイの秘宝」これはホオポノポノの歴史が概観できる。「ホオポノポノの教え」ヒューレン博士、上記のエピソードもわかる。「ウニヒピリ」「ホオポノポノライフ」はいい。共にKR。ホオポノポノは言葉を使うので、完全な天心にはいっていないが、100%身の回りに起きてくる出来事を自分の責任にして、たえず自己凝視を行なっていくところ、マウンドフルネスになるところが素晴らしい。理想的にはそのようなことを通じて、生活全体が瞑想にまで深まるとよい。

 

<感想>

 今回のお話で特に印象に残ったのは、全ては暗示とのお話。自分でこうしようと意識で決める前に、脳波が動いているという実験の話も、無意識の世界の領域を垣間見れるようでたいへん興味深く感じました。自分自身、知らず知らずに様々な暗示、無意識の動きに縛られて自由を奪われているのですね。少しずつ、自分をそこから解放していきたいなと思いました。

 また野口先生は暗示によって暗示からの解放を目指されたとのこと、整体という仕事の奥深さ、素晴らしさを認識させられました。

 そしてホオポノポノはすごいものなのですね。名前などは知っていたのですが、よく調べもせず、何か安易な精神世界系のようなイメージを勝手に持っていたのですが、お勧めの本を読んでみます。次回のリフレイミングとホオポノポノと内観愉気の使い方のお話、とても楽しみにしています。ありがとうございました。


ほんとうの「わたし」 2

 
 木内鶴彦氏は幼少の頃、山道で危機に瀕した時、
 「危ない!」という一言で助かったという。
 後年、彼は臨死体験をした折りに、その声が未来の自分自身が発していたことを知る。
  (※ちなみに氣道協会で取り扱っている『太古の水』は、
     木内氏が臨死体験時、地球の水が最も生命力に溢れていた頃に訪れ、それを再現したもの。
     1リットルの水に『太古の水』を1CC入れるだけで作れるが、その水を飲むと私たちがクリーニングされ元気になるだけでなく、
     私たちの排泄物を通して地球環境の汚染が浄化されるということに共感し、
     当会で取り扱うことにした経緯がある。
     もちろん私自身も日々使っている。(ビールにも必ず…(^^;) )  
 
  
 被災地へのボランティア活動に何度か行っているスタッフのAさんは
 「二度目に石巻に行って、身近な方を亡くされた方々ばかりに整体をさせて頂いていた日に、途中キャパオーバーで 「もう何もできない」 「神に祈るしかない」 という状態になり、祈ったら物凄く楽になって再び整体できるようになった」ということがあったという。
 それはAさんが今回石巻からくれたメールの文章であるが、次のように続く。 
 「その時に感じた 「なにか」 は、絶対無とは違うと思うのですが、何かとても大いなるもので、同時に自分の本源に連なるものであり、それは、マーヤの世界よりは、「究極な存在」 の方に近い 「なにか」 なのであろうという気がしています。
 その 「なにか」 は、今日は比較的感じ続けることができましたし、
 先生のピアノ(特にソロ)を聴かせて頂く時に、いつも感じる 「なにか」 でもあるような気がしてします。」

 なるほどそれなら確かに「自分の本源に連なる」ものだ。
 私たちに訪れるインスピレーションが自身の深層意識から来ること、精霊やガイドが自分の分身であること、そして更には、
 私たちが祈り、求める対象である「神」(タオ、ブラフマン)という究極の存在自体が、実は自分自身であった、という驚愕の事実を体験した者は、
 まるで合わせ鏡の間に入ったような、この現実という投影された宇宙の巧妙なカラクリに愕然とするものだ。
 それはまさに神のリーラ(遊戯)と表したくなるが、その神自体が自分であり、しかもその如くに自分を分離させたのも自分である以上、それらの遊戯自体が自分の創り出したものなのである。
 
 

今朝の瞑想 (ほんとうの私(focus108〜))


 肉体も完全に消え、心も完全に消えた
 あの広大なる無限の無
 沈黙の沈黙
 真空であり無限

それは思考が戻った時であっても、
どんな時であっても
いつも 常に ここに在る。
今も、そして永遠に。

そう、それは空であり時間もない永遠。
 

【整体法修得講座】第五回まとめ (前回に引き続きJ様からのご投稿です)

522()

 

  3人一組で宿題を題材に話し合い

 

<本日の宿題>

  今までの宿題の継続プラス家族や親しい友人など、一番気のおけない人に対して、気軽な「ですます調」で話をする。(社交辞令のようなかたい感じではなく、飲みに行こうぜくらいの軽い感じで)なれあいになりやすい関係の中で、使えそうな時にですます調を使ってみる。

  昔の商人のように客にもみ手していて、返ったら塩をまけ、のような裏表あるのはダメ。整体操法は「一期一会」そして「練習は本番のように。本番は練習のように」取り組む。野口先生がある人から、整体操法は真剣での勝負のようですね、と言われたが先生は「全然楽々」と返した。「生活が真剣勝負。操法の場は楽々と。」生活の中に「整体する人」のモードが入ってくると自然とそのようになってくる。体を整えるということは、単にボキボキするだけでない。だからそれ(整体というものは大切なものなのだ)を感じた長谷川先生のお父さんのあいさつが変わった。

  私たちはどんな時も演じている。それは過去によって培われたモードであり、全部観念である。どうせ演じているのだから、その演じ方を変える。結局それだけが残る。(機度息間)愉気だけが残る。技術ではない。勘違いしてほしくないが、品行方正になれということではない。二日酔いで整体をするのは整体の神様にひっかかるかもしれないが、でも毎日の晩酌程度をやめろというつもりはない。相手に対する態度(機度息間)それが死後残る。お酒を飲んだりなどのことは残らない。

 

<背部操法の型>

  処→初伝 処の扱い方が型。型を活かすためには機度息間が大切。それをまず形から入って練習していく。これは先人達の結晶であり、野口先生がまとめた。

  正座での愉気(あまり使わない)。坐骨を踵にのせる。すると丹田が充実する。

  騎座(そんきょ)

つま先立ちで坐骨の上に踵をのせる。片足を立てることもあるが、どちらか迷ったら騎座にする。どういう型で愉気するかで質が変わる。初心のうちは真心で天心の愉気が型よりも大切。野口先生はプロの人には愉気を教えなかった。受け入れないから。この講座は中等から高等のレベル。プロを目指す人でも大丈夫という技術も紹介している。プロを目指す人は技術大切。そして技術の練習を通して愉気が深まっていく。透明になってくる。「技術をやった人の愉気はやはり違う」と野口晴哉談。型ができると(機度息間)自然と愉気になる。相手と一番ピッタリとする間合いだと、自分の丹田(ハラ)が充実し、みぞおちが抜ける。これは観念がニュートラルになるということ。

  中腰の型

練習では足を平行にする。本番では相手の歪みに応じて、膝をうまく使う。腰をいったん落とす。腰は反らせる。そこから骨盤を後屈させるとハラに力が集まる。(腰を反ったところから尾骨を丸めていく。背中ではない)これを自然体という。立位でのこの体の使い方を気道の学校で練習する。以前は腰を反った体の使い方をしていたが、Oリングテストで何度も検証して、この立ち方にした。中腰の型のポイントは、上記以外に‖平行 ⊇顛瓦藁梢道(小指を浮かせられるくらい)膝は外にはる。これにより力の拮抗をつくる。Iと膝をくっつけておく このようにすると足の間、膝の間にエネルギーが集まる。

  これは集中力のある体勢であり、9種のような集中力をつける型である。上下、前後、開型はこの型は苦手。でもできるようになる。

  おんぶ稽古(2人一組)

前に行なって後ろに戻る。そして中腰の型でギューポンを3回×3セット。交代。この稽古をすることで中腰が楽になる。

  股関節強化の稽古(おんぶする相手がいない時、1人で行なえる。)足は180度開き、踵と踵の間は自分の腸骨の幅にする。股関節を開いて、膝を外に張った形。上体はまっすぐに保つ。この形で左右にブラブラと少なくとも100回行なう。できたら1000回やってみる。(先生もやったことがある)500回超えるときつくて意識が変わる。

 

<上肢操法>

  上肢第6(化膿活点) 本物は親指に響きがくる。一点がわからなかったら、面で愉気でも効くが、ハブなど毒性の強いものは一点でないとダメ。現場では自分の力を過信せず、救急車を呼んで、来るまでの間の手当てとして、血を吸って吐いて化膿活点を押さえる。上肢第6を行なうとD7が変わる。ここはガンや白血球に関係していて、血液の質が変わる。すると蚊にさされにくくなる。(血液がドロドロしていると蚊にさされやすい) 米粒の半分位の硬結が誰でもある。これが盲腸の時は小豆くらいの大きさになる。硬結がないというものダメ。これを覚えると歯医者さんにかかったりした時に、化膿止めがいらなくなる。

  <上肢第7

  腕の疲労を表す。実技はテキスト参照。これを行なうと休息に腕がゆるむ。首も軽く、頭も軽くなる。右は血が下がってくる。左は血が上がる。よって左の刺激は注意(心臓疾患などの人)。左の痛いという刺激と右とでは、その質が違い、左はちょっとまずいぞ、という感覚がある。体の左側は外的刺激に弱く、外、他からの刺激に影響されやすい。右側は自分の観念からの影響。腹4は心理的影響、腹5()は身体的影響。

 

<四十肩操法>

  四十肩には先程の第7も有効。脇の下に肩前から指を差し込む。もう片手は肩後ろに添える。気が通ってきたらストンと下げる。腕の疲れや首の疲れがとれる。脇の下は禁点(特に左は)。肩がはずれた時は愉気をして気が通るまで待つ。そして後ろに回すとガコッと入る。たいへん簡単。

  <鎖骨か操法>

  手前のくぼみに真下に愉気。肺に響く。肺の脈管運動がよくなる。これを行なうと結核の時などは血を吐く。これは悪いことではないが、本人が血を吐いたことでビックリするといけないので、注意が必要。片側がはっきりしている時はそちらだけを行なう。その時はD3,4のどこかの同じ感じがするところに愉気を同時に行なう。「生命への礼」としてやるなら、省くだけ省く。命に対して余分なことはしない。これを自分に言い聞かすこと。それができるようになった人が、施術の質によって時間を決めるのはよい。(カウンセリング的なことが必要な時は施術時間が長くなったり。)よって2時間の指圧などを否定するものではないが、余分なことは省ければ省けるほどよい。「俳句がかける人は散文がうまい」ということ。生命の一番原初的な動きは開閉。縮めていく動きは生命を生む動き。開いていくのは死。女性は出産で骨盤を開き、一度生まれ変わる。省くことができるということは、集中力がついたということ。(型と同じ)すると余裕ができるので、他の事もできる。開型の人は文章量が多く、段々字が小さくなる。閉型は段々字が大きくなる。軽い感じの集中力。力を抜けば抜くほど集中。眉間にギューっという感じの集中ではない。

  (騎座のまま歩く稽古 − 膝行2種類)

  …甲川先生が神官の修行時に練習した膝行。初めは前後にゆっくりと行なう。ゆっくりの稽古だけでよい。集中力をつけるための稽古。本当は宿題にしたい。お茶や神道系の動き。イメージはカラクリ人形。こういう稽古のときはイメージを使ってもよいし、仕事や夢の実現はできるだけイメージする。

  しかし瞑想や愉気はできるだけイメージを排除する。その方が純粋な愉気になる。野口先生の愉気のイメージで愉気をしたスタッフの例。とてもよいが、何かちょっと違うものになる。長谷川先生が野口先生の書にはなかなか近づけなかった話。だんだんと近づいていき、そこで軽く1時間ほど瞑想に誘われた。閉的なギューをつきつめると抜けてしまう。そこはダイヤモンドのような感じ

  ∋の膝行。こちらは操法で足運びが直接的に役立つ事がある。このような稽古をすると、筋肉痛で階段の昇り降りがきつくなる。筋トレが好きな人はそれをやめて、このような型稽古をすると、本当の意味で腰が練れてくる。岡島先生はヨーガの時間でこれらを紹介していた。

 

<胸部操法>

  水かきへの操法 歯ぐきの出血、消化器にもよい。下頚ゆるむ。一番分厚いところにジーっと愉気。

  肩甲骨外縁。 肩甲骨外縁に親指当て(四肢は肩の外)もう一方は手のひら上で肩よせる。水かきの保ちによい。たいへん肩甲骨がゆるむ。

  肩甲骨はがし ,い譴董´△△討董´かき出す(中身を持ってきてかき出す)下から3ヶ所ほど行なう。アレルギーや花粉の硬直によい。梅雨時は背中が弛緩することがある。その時はそこにジーっと愉気。奇数体癖は硬くなりやすい。偶数体癖は弛緩しやすい。

  肩鎖関節 下頚のように愉気。呼吸器が悪いと負担がかかる。

 

<腹部操法>

  練習時は第1は上頚、第2は中頚、第3は下頚、第4は中頚、第5は下頚と合わせる。初めに紹介することが多い。なぜなら背中で練習すると力みやすいから。愉気の練習にお腹はよい。

  へそ 操法はへそで終わる。吸時にひきしまりがあり、吐時にゆるみを感じる。このような状態であれば操法はいらない。操法の最後にそういう感じになっていなかったら、他の操法を行い、へそへの愉気。

  腹部第1 けんじょう突起のところから、指3本分位下(ゆるみの場所)2本下は禁点。指は上向き。練習では3呼吸(首ゆるめ、手入れを3回)。3分抜きで抜く。吸時、若干ゆるめる。抜きすぎると離れた感じになってしまうので注意。そして最後に3分抜いて、じわじわと離す。

  腹部第2 「第1は虚、第2は中、第3は実」が整体。第1とへその真中あたり。ここが虚だと内臓下垂。実は食べすぎ。へそにむけて引き下げるように愉気。最後に3分抜きして終わり。

  腹部第3 へそから指3本下あたり。へそに向かって愉気。排泄の誘導の時は下に向かって愉気。吸気でじわじわと抜く。第1、第2、第3は観察ポイント。「丹田は大切なので毎回愉気しよう」はダメ。ここが虚の時(このときは要注意。強いショックを受けた証。打撲など)に愉気をする。

  腹部第6 側腹。つまんで愉気してもよい。硬結がはっきりしている時はそちらだけ。側腹は肋骨下と腸骨の間に指3本入るのが正常。単純に行なうなら、ただ愉気する。ここが硬いとお腹ゆるまないので、初めにやることもある。

  番号は意味がある。1,2,3,4,5やるだけで体は整う。盲腸の3点、大腸の3点、やるだけで腹がよくなる。

  野口先生のご子息も操法は数分。長谷川先生も受けたが、一点操法だった。麻原先生に穂高で合宿した時、帰ってくるまでに道を作っておけ、と指示された。石積み上げて道つくるが、勉強になった。野口先生と柳田先生のエピソード。川の流れの中に石を一つだけ置いて、その流れを変える。柳田先生はジーっと観ていたがわからなかった。そこで野口先生が石を1個置き換えた。するとしばらくして、川の流れがザーッと変わった。操法は「もう少しやって」というところで終わるのが大切。これはへそでわかる。

 

<5種体癖基本操法>

  前後型の呼吸器タイプ。日本人は少なかったが、今は多い。欧米人に多い。現代は全世界的に増えている。迷ったら男の人に使う。逆三角形の体、スポーツマンのタイプの体だったらこの操法。男の人は少しはまず入っている。岡島先生は7割くらい5種が入っている。行動型。背筋随意筋が緊張しやすい。くたびれてくると、この筋肉の力が抜けなくなる。L5がしっかりしているが、それが陥没してくる。するとやる気がなくなってくる。操法をしながら未来への希望を与えていくと、L5がしっかりしてくる。喫茶店などで1人で黙っているのは嫌。ながら族。コマのようなもので、回っているとよい。打算的であり、整体指導者には向かない。だからこそ5種体癖で初めての整体指導者になる人だと岡島先生は言っていた。1,2番目に悟りづらいタイプ。L5がヘナヘナになってくると、たいへん優しくなる。4種的になる。5種がやさしいのは呼吸器が萎縮している。すると眠りが浅くなり、胸が硬くなる。肩は上がってくる。6種はいつも上がっている。集中したりすると、前に肩がくるのは9種。

  長島さんは5種3種。前後に左右入ってくると捻れる。しかし2側に差がない。5種のくたびれの第3段階は完全に捻れ腎にくる。汗出るとよくなるが、それが出にくい。5種の人がこの段階にいくと、やっかい。そして腸にくる。岡島先生もこういった傾向があったのかもしれない。後は実技テキストを参照。

 

<感想>

 今回、印象に強く残ったのは「生活が真剣勝負。操法の場は楽々と。」というお言葉です。生活の中に整体する人のモードを入れていくこと。ヨーガでいうカルマ・ヨーガの教えと共通するものを感じました。そして愉気(機度息間)だけが残るということ。今までにもお話のあったことではありますが、日頃から改めて心がけたいと思います。品行方正になれということではないというお言葉も、ワイン・ビール・お酒の好きな私にはホッとするお言葉でした(でも調子にのりすぎないよう注意します)。

 また「技術をやった人の愉気はやはり違う」という野口先生の言葉は、今後技術練習をしていくモチベーションになります。そして「生命の礼」としてやるなら省くだけ省く。命に対して余分なことはしないということ。ついつい余計にやってしまいたくなる私ですが(観察力がないが故に、不安になるからだと思います)、心がけていきたいです。(部屋の整理整頓も上手になるかな・・)

以上です。今後もよろしくお願いします。


【整体法修得講座】第四回まとめ (執筆J様)

 

先日の講習を自分なりにまとめてみました。誤りもあるかもしれませんが、参考にしていただけると幸いです。

 

  3人一組になり、セラピスト・受者・観察者の役割分担をして、5分ずつ面接の実習(肩もみを含む)

  <チェック点>セラピストは愉気をしているか(動作・呼吸の同調)。

  意識を集める → 傾聴→共感(ラーポール)、気の感応 → 信頼関係生まれる

  <結論>信頼関係は呼吸の同調から生まれる。気が合うかどうかだけ。(野口先生もそのように言っている)これは単に「うまがあう」ということだけではない。

  どのように自然に信頼関係を作っていくのか → チューニング、ジョインニング

  上司を殺そうとした人の例で、その人の立場だったらそうだろうな、というのが共感。巻き込まれとは違う。「ジョイント、一歩間違えると、巻き込まれ」

  共感とは自動運動の誘導と同じ。巻き込まれは相互運動のような構造。

  そしてセラピストはレフレイミングしていく。肯定の話し方が大切。(「○○ちゃん、〜やってはダメ」ではなく「〜の方がいいよ」)

  指示はしないこと。

  右肩下がりが極端な人はキレやすい。「何だ、このヤロウ」となりやすい。

  今回の整体講習会の4ヶ月の期間、週1回ずつくらいのペースは息が切りづらい。1年で1ヶ月に1回ずつやっていると間のびしやすい。それでこのペースに戻した。

  将棋の羽生善治の本に書いてあったお話。「3ヶ月毎日将棋をやれば、誰でも4段になれると思っている」4段といえばアマチュア最高レベル。3ヶ月はさすがにきついと思ったが、やる気になれば人にはそういう力があるかもしれない。そのためには日常の中でも切らないことが大切。

  エリクソンは催眠療法の大家(心理療法界の野口晴哉)。彼は仕事と日常を分けなかった。雀鬼と呼ばれる桜井章一さんもそういっている。ON、OFFのメリハリは大切だが、反動のようにON、OFFをつけてはダメ。「どんな時も整体する人になるための時間」にする。これが仕事に対するレフレイミングになっている。「整体する人」になるということは、そういうこと。エリクソンは家族に対しても、飛行機でたまたま隣になった人でも、全てがセラピーの時間ととらえていた。

  肩もみも呼吸の同調。チューニング、ジョイニングが大切。美容師さんでもなかなか上手な人がいる。バカにできない。

  愉気とは相手に意識を深く集めること。相手の存在、呼吸に同調する。

  甲野善紀さんは「肘から先は道具だと思っている」と言っている。その意識で、力まかせでやらない。本当は体全部が道具かもしれない(長谷川先生)

  整体うまい人は肩もみ上手。アイロン療法上手な人は整体も上手。

  以前は整体講習の最終回は試験で、皆に実際に整体をさせていた(長谷川先生に)。その時の話で、整体技術1年練習をしていた皆よりも、マッサージ屋さんに勤めていた人のマッサージ(この人は整体技術を忘れてしまい、長谷川先生にマッサージをした)の方が愉気ができていた。説得力があった。そういう事を教えたいのがこの講座。どんな分野にも応用できる。

  2人一組で「動きを感じる練習」1人は仰向け。術者は足持って左右に揺さぶる。相手のリズムを感じとりながら揺する。左右の動きを通して自動運動を誘導しているようなもの。前後や上下でもできる。本来は中腰の型でやる。

  次にうつ伏せ。どこの場所(D8とか)でもよい。相手にまたがり、左右の親指をあて、四肢でおさえ、左右に揺さぶる。(これはやらなくてよい)

  皆は相手の横に座り、L3あたりを両親指と中指でおさえ、ろをこぐように揺さぶる。捻転の動き出る。L1,2番でやると左右の動きになる。

  仰向け。お腹に両手を重ね、ゆっくりとこねるように行なう。初めはゆっくりとやる。

  <背部操法の練習>首は上頚、中頚、下頚、胸鎖乳頭筋でとりあえずよい。首の操法はもっとあるが、下手にやるとかえって悪くすることがある。野口整体では首は腰でかえる。腰の反映で首にくる。(ストレートネックとか)「あなたの首はまだいじれないので、腰ができません。」という言葉がある。首はL1の力、意識、気の力で支えられている。結果として首が整う、というのがよい。それだけ首は大切。野口整体ではアジャストの技術は今はやらない。これは使わない方がよい。ただ1%未満だけど、必要なことがある。(長谷川先生のお父さんが温泉でマッサージを受け、首のアジャストをやってもらって長年の肩こりから解放された話)身体均整法の亀井先生は野口先生の体癖論を取り入れた。よって技術がたいへん似ているものが多い。長谷川先生も学んだ。ここでは首のアジャストをやっている。

  大ざっぱに言って、上胸部(D14) → 呼吸器(L5に対応) 

  中胸部(D59)→ 消化器(L2に対応)

  下胸部(D1012)→泌尿器、生殖器(L3,4に対応)

  もう少し丁寧に言って、D4は心臓、D5は新陳代謝の根本、発汗、風邪に関係、D6消化器、D7は脾臓、すい臓、D89は肝臓など。D10は腎。D1112は生殖器、10,11,12で小腸といってもよい。胸椎は12個。まれに13個の人がいる。D1から骨が大きくなる。きょく突起を観察。(きょく突起の上をきょく上線という)これは背骨本体より少し下がっている。背骨は少し上。よってきょく突起の脇は溝になる。気になる骨を見つけたら、ジーっとそこで愉気。D8を基準にそれより上は狭く、下は広い。よって指1本分が1側、2本分が2側というのは本当は間違い。1側はきょく突起の際、2側は背筋(筋の盛り上がったところ)3側は背筋の盛り上がりの上手(本来は指2、5本分。ただ指のハラでおさえる)4側がD8の基準で指3本分。よって3,4側のことを総称して3側と言っていた。1側は、いい体はポロポロとはじける感じある。ここでその人のエネルギーの流れ、つっかえを見る。迷走神経の働きを調整。心臓悪い人は首からD4まで線状のハリがある。2側は背筋、筋肉の状態を表す。3側は内臓の状態。副交感神経を表す。胃はD6の右3側。これが長引くと1(エネルギーの低下、器質の悪化)2側にも出る。刺激の強いもの、急のものも1側に出る。よって赤ちゃんに1側の硬結出てはダメ。急性アルコール中毒はD4、D9の左に出る。心臓悪いと言われたら、D4の左1側を見てみる。しかしこのような左脳的判断だけでなく、手がそこに止まるかで判断。一晩寝れば大丈夫というところには手をつけない。省く。省くことができて、本当に必要なところに愉気ができる。1点ならここ、2点ならここ。しかし私の今の技術なら4点必要だな、など。そのようなことがわかって他を愉気しているならまだいいが、それでも余分な反動が出る。

  長谷川先生は昔ヘッドハンティング(ハンドハンティング)されそうになった。その時20分ではなく30分施術してほしいと言われ、余分な時間は愉気をしてくれと言われた。その言葉にカチンときた。愉気が一番大切。背中の練習、硬いところがわからず迷ったら、D8位をやっておく。2→1→3側の順番で練習するのが基本。野口先生の一番弟子の息子さんは、お父さんから2→1→3ではゆるみすぎる場合があるので、1→3→2でやるとよいと教わり、それでやっている。気になる背骨を上記の順番でやるだけだが、保ちもよく評判よい。長谷川先生もやってもらったが、他の人と違って体が引き締まる感じがした。しかしお父さんは野口先生に教わったとおり2→1→3でやっていた。

  (2)おさえ方はL42側の練習を思い出す。D8で練習(先生の見本)右をよせ、左をよせ、左右のあわせ意識してみる。これをはやくやると、先ほどの揺さぶりになる。今はそれをやらないで内部に持っていく。そして息があってきたら、まずはギューポンと抜く(強圧実法)。慣れたらギューポン(3分抜く)虚をつき、もう一度ギューポン。

  (1)ただよせるようにして、愉気してもよい。慣れたら硬結ある側に指を重ねる。四肢大切。これでよせて真下におさえる。よせた後、外にはじく(右なら右側へ)。その時四肢は抜かない。逆によせる。昔は1点をつかまえるのに針がほしいと思ったが、慣れてくると愉気で一点ができる(面でできる)。若い頃、野口先生は1僂らい爪が伸びていたことがある。それで1側の調整ができた。それは意識をそこに集めることができたから。

  (3)かつぎの技。腰部活点で使う。親指は向かい合う。四肢で集めて(膝の力も使って)3分抜きとか5分抜きなどの練習をやっていくと、普通の愉気が緻密になってくる。そうなると実践ではただの愉気でよい。

  <自動操法の練習>自動運動の誘導法。相互運動法とこれは大切。家族ならこれだけでもよい。整体コンサルタントでこれ主体の人もいる。これを取り入れれば70歳からでも大丈夫。技術だけなら5歳から。20歳すぎたらもうダメ。自動操法の最後に愉気してみて、初めの着手と同じならOK。そうでなければ初めの着手は観念で押さえていたということ。自動操法も出ない時は知識しかない。しかしそれだけに頼るのは「生命に対する礼」とは言えない。

  野口整体の膨大な体系は野口晴哉という天才が作り上げた。東洋医学もおそらく1人や2人の天才が作り上げたに違いない。野口先生は人間の体は機械だということをひも解いた。岡島先生も晩年、人間の体は単純だと言っていた。体はその人の潜在意識の表われ。そしてそれは様々なシステムと関連し合っている。その複雑なアリの行軍をきるには、手をつくらないとダメ。2人一組で自動操法の練習。これは手で感じなくてよい。手は道具。勝手に止まる。数呼吸合わせた後、自動操法→そこからゆっくりめにしていって、ここに止まる。そこに止まるとやっていく(止まれ止まれ操法)。同感触操法のように、この手の感じがあるところでやろう、というような事もできる。上記の2つは全然違うものではない。操法は最終的に自動操法に戻る。そこに技術、観察など入れていく。「技術を行なった人の自動操法はやはり違う」(野口晴哉談)

  (皆で円になって愉気の伝授。その後合掌行気の練習) 正座がきつくなってきた時の対処法は、手のひらに集中すること。昔の整体修行者は朝まで一晩中合掌行気を行なった。そしてトイレに行こうとすると、気が入っていないと叱られた。プロを目指す人は40分位を半年間毎日やる。そうすると手の皮がむけ、人間の手になる。愉気する手ができる。手のひらから吸って、はいて、その逆。指先から吸って、手のひらからはく。その逆。各指から吸ってはく。などとやっていると30分はあっという間。西式健康法では一生に1回だけ43分やるとよいと言われており、長谷川先生も高校生の時に、年に1回、都合2回行なった。しかし結論は続けてやった方がよい。手の感覚が敏感になると、手を通して傾聴できる。

  (四種操法)上下型はスラッとしている。頭よさそうだな、という人。左右型は丸っこい人。吉永小百合さん、八千草薫さん。よい4種は3種的に明るい。4種の人はおしとやか。古き良き日本人の時代の女性。現代は少なくなってきている。他には自分で決められない。心理的中毒で肝にくる。3種と比べると丸っこい感じがしない。上下っぽい。よって2種と間違う。3種は食べすぎで肝にくる。調子が悪いとお腹痛くなるのは4種。首にくるのは2種。1回目の中毒操法は4種のためのもの。親指力なくL1が捻れやすい。これはガス抜き操法で変わる。他はテキスト参照。

  (宿題) そのまま増やさない。「セラピストの技法」を読んでいない人は、理論編だけでもよいので読む。肯定話法は練習すること。寝る前の宿題も同じ。

  (感想)今回の講習で印象に残ったお話はいくつかありますが、その中でも3ヶ月で将棋の4段になれるとのお話。さすがにその期間ではきついかな、と思いますが、整体を勉強していく上でモチベーションになりました。きっと野口先生のお弟子さんで3年で整体のプロになった方も、そのような熱意で取り組まれたのかなと思います。そしてそのためには日常と整体を分けないことが必要というお話。そのような気持ちで取り組むことで、家族や周りの人との関係も、より良くなっていくような気がします。また美容師さんの肩もみでもバカにできない上手な人がいる話。1年間整体操法の練習をやった人の技術より、技術は忘れていても上手なマッサージをした人の話など、愉気の大切さ、相手を感じることの大切さが理解できました。また次回様々なお話が聞けるのを楽しみにしております。


水無月の整体

梅雨は、湿気が多いため新陳代謝も滞り、
そのため体も心もうっとおしくなりがちな季節です。
しかし逆に、この時期に新陳代謝を活発にすると、体質の大きな改善が図れます。
それには何より発汗の誘導。
 
自動運動のように自分の体に合った運動による発汗は、
体の奥の老廃物も排泄することができます。
(その前に足の指を引っ張ると皮膚が開き呼吸が楽になります。
右足小指から親指まで。同様に左足を行います。
梅雨は呼吸器や泌尿器がくたびれやすいのです。)

掃除をしても、同時に散らかしては意味がありません。
発汗誘導と共に、食事の質も軽くしていきましょう。
甘いものや肉魚を控えめにし、
野菜特に生野菜を多めにすると大変血液も浄化されます。
その意味でも梅雨はデトックス、ダイエットの好機なのです。

そして、そうした減食期間に受ける整体や自動運動、瞑想は、
通常の数倍の効果があるものです。
梅雨を逆にうまく活用して心身をリフレッシュさせていきましょう。
(さらに徹底的にデトックスを行いたいは、ぜひ「砂浴合宿」もご活用の程。) 
  
(以上、長谷川先生による6月号会報掲載文章です。スタッフが代理で投稿しております。) 

皐月、近況

このたびの震災では皆様大変な思いをされたことと存じます。

震災地の会員の方々は全員なんとかお体は無事で安堵しましたが、
被害を受けられた方々にはこの場を借りて心からお見舞い申し上げます。
 
日記(「日日是好日」http://kido-j2.jugem.jp/)にも書きましたように、
日本をしてそして宮城をして地球の風邪を経過させたとは雖も、
そのために多くの尊き命が失われたこと、私自身の体の痛みのように感じます。
この場を借りて、それらの方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますと共に、
ご遺族の方々には謹んでお悔やみ申し上げます。
また、今この時間でも困難な状況下で救援活動に命がけであたっておられる方々、
数々のご支援をされている方々に心から感謝を捧げます。
 
今回の震災に対して、私の思うところの要点は上記日記に書かせて頂きましたが、
(またその後「祈りの会」でもお話させて頂きました。同会は録音致しましたので、
ご希望の方は事務局までfax045-261-3304下さいませ。送料500円でお送りいたします。
利潤が生じた場合は、義捐金とさせていただきます。)
 
その日記の題名は、
野口晴哉師の義父である近衛文麿首相が戦争の責任をとって自害する前夜に書かれた言葉でした。
この言葉には様々な解釈があるのでしょうが、その書を見るに、戦争という最中であっても、
深い息を持った方であったと感じます。
 人災、天災の違いはありますが、どんな時であっても、「深き息と閑かな心」を持っていきたく思います。
そのためだけにこそ氣道が在る、と反省と共に改めて精進していこうと決意しています。
 
この震災の影に隠れ、私の最後の恩師が亡くなりました。
数年前、氣道(協会)が元気無いからと、横浜道場にて対談をして下さった吉本武史先生です。
「氣道は自然に生きる道。いい、それがいい!」と、あの朗らかなお顔と共に仰って下さり、
その後、氣道はその定義となりました。
先生なら、今回の震災の方々に何と仰るのだろうか。
 
無常を感ずるこの頃ですが、小津安二郎監督が墓碑銘に無と書かれた理由もわかる氣がします。
無常を知り尽くした小津だからこそ、無という安心のひとつ息である「全」を得たのかもしれません。
日記「天行健」の3に、恩師山本健二先生の言葉を書きましたが、
ゴールデンウィークには、尊愛するティク・ナット・ハンがいらっしゃいます。
同じ時、横浜道場では【氣道の学校】を行ないます。
ひとりでも多くの方が、こころの真の平和を取り戻し、それが全世界に波及しますように。
 
「私は環境破壊運動には加担しない。世界平和運動にこそ賛同します。」
と常々仰っていたマザー・テレサの栞に昨日眼が止まり購入させて頂きました。
今、偶然繙いたページに次の言葉がありました。
「主よ、私をお使い下さい。
 主よ、今日一日、貧しい人や病んでいる人を助けるために、
 私の手をお望みでしたら、今日、私のこの手をお使い下さい。」

(以上、長谷川先生による5月号会報掲載文章です。スタッフが代理で投稿しております。)


「現代社会における野口整体存在の意味」 (整体サミットに於る草稿)

 
   ………………………………………………………………………………
 
 10数年前、気功協会からの依頼で「野口晴哉の世界」という二日間の講座を行った際、準備として晴哉先生の全集を再読致しました。
 そこから浮かんだ二つの言葉をテーマに同講座に臨んだのですが、その言葉は「自由」と「自発」でありました。
 晴哉先生は、野口法時代から「体は無い」と、ご自身の悟りより仰っておりましたが、心理療法家として高名になったその後、整体法を確立されました。
 更に、整体法の目的も治療から健康指導と発展されました。
 晴哉先生の幾つかの言葉が思い出されます。
「薬や注射の代わりに整体があるのではない」
「私の技術が進歩したために、私がいないと却って病人が増えてしまったのはおかしい。」「病気は治すものではなく経過させるべきものだ。」
更には「風邪は自然の整体法。そして病気や出産を通してもっと元気になるようにしていくのが整体指導である。」
 代替医療として様々な治療法が認められつつある現在、(野口)整体もその一つと捉えられがちですが、晴哉先生の眼差しはより深きところを見つめていたと感じます。
 私は常々「生きていること自体が病気。この病気を自然に経過させていこうではありませんか」と申しますが、それは病気の時が常にそうであるように、私たちの中にある大いなる生命の流れ、氣の流れに沿うことでもあります。(それを氣道と称しております)
 そして、その時にこそ真の自由と自発の感覚が生ずるのでしょう。
 あるいは逆に、自由と自発の感覚を持つことによって私たちの中にある自然な息、即ち大いなる生命の流れに触れることもできるのです。
 晴哉先生は、「その」ためにこそ体を整えることを重要とし「体育て」という真の意味での「体育」を提唱されたのではないでしょうか。
 そうして公的な変革を目指し社団法人を創設されるのですが、その手法は現在のホ・オポノポノを先取りかつ発展させた潛在意識教育法講座がそうであるように、私たちの意識に焦点を当てたものではなく、「潛在意識」に焦点を当てたものでありました。
 そのため先生の道場ではどこでも次のような言葉が掲げられております。
「社団法人整体協会は錐体外路系の訓練を中心とした新しい体育を提唱しその方法を会員相互で開拓研修している団体であります。
 当道場ではこの外路系運動を目標に活元運動、整体体操、行氣、活元呼吸等を指導しています。
 人間は元来自分の体を自分で保つような構造をしております。 このことを先ず自覚して戴きたいのであります。」
 生きるとは何か、より良く生きるとはどういうことか、幸せとはなにか、そうした人間として誰もが思う問いを改めて鑑みる時、生きるということの原点から体や心の活動を解明され、その上でどうしたらいいのかまで提示された晴哉先生の偉業は瞠目に値します。
 「日本に初めて真の思想家が現れた」とは晴哉先生の個人指導(整体)を受けられていた私の尊愛する哲学者森有正の言葉ですが、若き頃、「体無し」と喝破された先生は単なる思想家の範疇を越え、あらゆる聖者でも出来得なかった形而上から形而下までの橋渡しを人類史上初めて成し得たとも感じるのです。
 真の幸せ、自由、自発… 
 「溌剌と生くるものにのみ深き眠りがある。生ききった者にのみ安らかな死がある」という先生の有名な言葉は「それら」の結晶であり、また同時に先生自身の生き様死に様でも立証された後世への遺言でもあるでしょう。
 而して、いみじくも私をして先生の薦める手法や技術を活かす言葉は次の言葉になります。
 「如何なるときにも息深く心閑かに」
 震災という症状に際した今の日本あるいは地球にとってこの拙文が、『現代社会における野口整体の意味は何か?』という問いの答えになっていたら幸いであります。 (2011年5月)


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