淨潤日記 「日日是好日」

氣道協会代表・長谷川淨潤のブログです。

自然〜愉氣

 人はその人のフィルターでしか物事を見ていないし、まして捉えてもいない。
 ただ、それが自然の中に入ると、ふっと除かれることがある。
 それ故、自然の素晴らしさと、そして自然の中で味わう状態を裡なる自然によって培う方法の重要性を言っている。
  (実は外なる自然も裡なる自然も、その根は「氣(タオ、純粋意識)という一なるものであるが)
 実際、【氣道の学校】(中等)卒業生は、観念のフィルターが淡くなるため、相手の味わうお茶の味を、相手に意識を合わせる(=愉氣)だけで味わうことができる。

 逆に言えば、同じ自然の光景を見ていても、観念や思考の層が厚いと、捉え方が違ってしまう。
 相手の思考のほうを感ずる事もある。
 そんな事を先に感じたのであった。
 
 相手の思考を感じようとするなら、相手から何かを学びたい、相手を尊重したい、と思うなら、
 思考を鎮め、心を開こう。
 これは相手が自然であってもそうだ。
 そしてこれはそのまま愉氣でもある。
 
 逆に言うならば、相手から(其処から)学びたい、相手を尊重したい、と思う気持ちが愉氣の原点なのかもしれない。
 氣道を伝える人間でありながら、反省しきりの今宵であった。

巡礼の旅 「その日からできる 『究極の健康法』 と 『手当て法』」

  明日(6/26、午後2〜5時)は、アネモネ主催の講座。

 「その日からできる 『究極の健康法』 と 『手当て法』」
    http://kido-staff.jugem.jp/?eid=18


  内容的には、沖縄講座と同じ。
  そして横浜道場で明後日(日、27日)行う「氣道会」とも関西支部(7月30日)に行う講座とも同じ。
  魂の実家、沖縄から始まり、人形町という長年住んだ氣道発祥の地、そして生まれた横浜、そして定期的に行っている芦屋、と
  私の縁深き場所で、まったく同じ講座を行っていく。
   (そのように企画したのではなく全くの偶然である)
  しかも内容は、「氣道のエッセンス中のエッセンス」である。
  まるで巡礼の旅のようだ。
  明日は、沖縄講座にいらした方もいらっしゃる。
  講座もまた整体同様、その時その場で生まれる一期一会のもの。

  
お時間のある方は
 ぜひ氣道のエッセンスをお伝えするこの一度きり、一期一会の機会を活用され、沖縄でもそうであったように、
  一生残る、一生使える「宝」を持ち帰ってほしく願っている。

沖縄報告

  
今日、久しぶりに横浜道場に行くと皆が言う。
「先生、お疲れさまでした!沖縄はどうでしたか?」
 (中には、「日記が更新されていません!沖縄はどうだったのですか!!」というスタッフからのメールまで…)
「明日の横浜道場16周年祝賀会の時に言うよ。でも別に話すことはないよ。」
…と答えると、皆「そうですね…」と言いながら口を尖らせる。
 (注/昨日(6/22)が横浜道場の誕生日。なお祝賀会はクウム(道場二階)にてスタッフのみひそやかに行う。)

話すことがない、というのは本当だ。
それは私にとってあまりに自然だったからだ。
なので、この日記でも、どのように書こうかと案じていた。
スタッフブログにと或る沖縄関係スタッフが投稿されたと聞き、見ると、今日は、沖縄祈りの日ということで、
今日は65年前に沖縄戦が終結した日だとのこと。
スタッフブログ http://kido-staff.jugem.jp/?eid=64

ならば、明日たとえ一分でも話すことを書かねばならないと思い、この日記に向っている。
そう、スタッフブログでも、
「出発するかなり前から、長谷川先生は…
 「沖縄を訪れるときには、南部の戦跡に伺い、
 亡くなられた多くの方々のために祈りを捧げたい…」 」
とあったように、そうした想いが強かった。
大変烏滸がましいのだが、某かの援助がしたく、修験者として以前はよく行っていた土地の祓いではないが、新たな場に行く時には「製図」といい、其処に相応しい図こそ私は描かないけれども、そこの場に相応しい自然に出る動きに沿って舞い(今回の場合は私の知らない言葉、真言や歌が自然と出てきた)、場が変わったならば、と思っていたのだった。
沖縄への旅が近づくにつれ、そんな烏滸がましい思いも薄れ、
こんな私が行ってもどうなることもないだろうが、ただそうしたことを引き起こした部分が私の中にもあると思い、ただ謝りたかった。

那覇空港を降り、初めて感ずる沖縄は、「ここは知っている」という感じであった。、
一番近い既知の場所で言えば、明後日から行う「砂療法」の白子(海岸)である。
実際、何度となく、似ているなぁ、と思った。
そう、私にとって沖縄は、本や人から聞くイメージと全く異なり、
よく帰る実家に戻った時のような感であった。
(「よく帰る」ので懐かしいという感慨も湧かなく、ただただ自然であった。)
それ故、スタッフにも言ったように、何も話すことはなく、話すと言えばそれだけなのである。
あまりに、あまりに慣れ親しんだ、自然な感じなのだった。
そしてそれだけのことのなのだが、そこにすべてが孕まれているような旅でもあった。

夕暮れの糸満でなぜかBPさんとはメールができたこと(本当にシンクロニシティのように以前この日記で書いたような透明な時間だった)をはじめ、
起こったことは実に様々だ。
何しろ初めての方に講座そして整体をしてゆくわけだから、その最初で最後になるであろう体験は、時々、万華鏡を見るかの如くであった。
(もちろん行く前からそうであったが、今となっては最後にはしたくない…
 しかしこれもエゴだろう。
 ただ、私はその時合った方々、触れた方々、行った場所に、ずっとずっと愉氣していたいだけだ。)

そのように書けない程に様々なことはあったが、過密なスケジュールも、
常に一つの息で導かれていた。
それは東京道場での指導でよく感ずる数時間の指導でも、一つの息になる感覚と同質であり、また同時に、それ以上の予定調和的な更に大きな一つの息と共に常にあった。

その意味でも、沖縄に行ったのではなく、戻ったというか、ただいつも自分が確かにいる時の感覚(それは同時に表層の自分がない時の感覚である)であり、先述の表現ではよく行く実家と書いたが、ともかくすべてが慣れ親しんだもので、文字通り自然な感じであった。

それだけでは読者は面白くないかもしれない。
その意味で言うなら、先に白子に似ていると書いたが、その面では一つ言える。
ツインソウルという概念があり、分け御霊の人、つまり片割れに出会うと、それまで好きであった方の全てがその人に含まれていると気づくというらしいが、沖縄では、白子以外の、たとえば私にとって原風景である穂高も含め、
そうした思いが本当にたくさんあった。
それこそこの肉体の実家も含めて。

逆に言うなら、ツインソウルをどこか潛在意識内に知っているからこそ、その片鱗のある方を好きになったりするのかもしれない。
あるいは、ツインソウルが誰であるのか分かるためにも、そうした片鱗ある方に出会うのかもしれない。
そんな事は空想であるが、
もしかしたら、この土地を味わおうとして、小学時代から穂高に行ったり、湘南で過ごしたり、他の所に行ったりなどしていたのではないか、
…と、沖縄でほんとうにそう思ったのであった。

そうした上で述べた全てのことは、久高島に行き、更に強まった。
というか、自分が、今、連続した人生の時間から乖離したことが分かった。
(分かったというか感じた)
私は、今回の旅は長年の念願である沖縄への出張指導なのであるが、
もし時間があれば、久高島に行きたい、それこそが仕事以外の面で沖縄に行く意味だ、と思っていたのであった。
(ちなみに、今回、久高島以外でも、そうスタッフブログでもあるように原田ゆふ子さんの許の海岸をはじめ、ゆふ子さんがご紹介して下さったところも結果論としてはほんとうにここに来るために、という場所ではあった。)

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この後、一番書きたいことを書き、
その後、まとめの文章を書いて、
ホッとして、
今送ろうとボタンを押したら、送れずに、
結局、保存していた上記の部分までの文章になってしまった。
大変ショックである。
しかし、前半だけでもと、掲げさせて戴く次第である。

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 ほんとうに、ゆふ子さんには、この紙上を借りて、御礼申し上げます。
 また、権ちゃん、chojiさん、奈央ちゃん、ごうさん、祐美子さんをはじめ、沖縄在住の皆さん、
 ほんとうに有難うございました。
 
 心から魂から感謝申し上げます。

 

無 

  無は無としか表現できない。
それは空(くう)とも言われ、また、純粋意識、タオ、氣(偏在する氣)、梵(ブラフマン)、宇宙意識、宇宙の息、気づきの海、愛、神とも言われている。
個人的な感覚では無、あるいは同時に全、空、あるいは透明という言葉がしっくりする。
それ以外の言葉は、その状態を説明するための代名詞というか、たしかにそうではある、という印象だが、これは、たとえば私が梵とか氣という言葉に慣れ親しんでいれば別なのかもしれない。

思考の狭間に入るというような生易しいものではない。
たしかにそこも無ではあるが、まだまだ有がある。
それに気づけない。
完全な無は、ほんとうに透明だ。
切り開かれた真空だ。 全、空間的に拡がるのではない∞だ。

それは「今」であり「ここ」だ。
だから「今」は時間の中に無い。
「ここ」は空間の中に無い。

透明に自分がなった時どう感ずるか。
透明人間ではない。
完全な透明。思考も全て透明。
ほんとうの透明。
ただきらびやかな、否そうして言葉化すると違う。
ただ輝きという、否、無という、真空がある。
全でもあるが、何にせよ言葉にすると、どう捉えられるのかではなく、自分自身に嘘をついてしまう。
無は無だ。
真空だ。
透明だ。
すべての根源、  源だ。

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そこに戻る毎に、私たちは此処(そこ)から生まれ、此処に還っていくのだろうと思う。
そこには絶対の安心がある。
今日、思考が戻り浮かんだのは、「永遠の幸せ」という言葉だった。

ある会員の方は「甘美な薫り」と表現し、またある方は別の表現をされた。
ほんとうの自分、ほんとうの自分の家に戻ることを、つまり無や空、タオ、氣、等々に戻ることを、
目覚め、気づき、自己発見、悟り、顕現、解脱などと言う。
それを求める道を氣道と言う。
けれども、それはほんとうに大したことではない。
悟るから偉いのでは全くない。
そこから私たちは生まれているわけだし、そしてそこ(此処)に還ってゆくのだから。
むしろ何かの技術を通して、あるいは思考を自然に用いることを通して、貢献していくことのほうが余程大変だし、余程素晴らしいとも思う。

ただ私たちは、それ(此処)を求むるように出来ているようだ。
この重力ある猥雑な摩擦の刺戟を求めて生まれ、そしてその生の中でも、さらに純化しようと求めるように出来ているようだ。
これはDNAよりも深いレベルでなのだろう。
そのように、人が自然に生くると、自然にそこを目指し、そこ(此処)と共にありたくなり、
そうして、その道こそが人として自然に生くる氣の道なのだろう。
それは、自然な運びであり、それ故、悟る云々よりも、この現実生活に於ては、感謝や貢献のほうが尊いと思う。

そう、実際のところ、悟ること、無を感ずること、目覚めること、
それと、道徳や倫理とは全く関係がない。
 (それ故、氣道会では「飲む、打つ、買う」は関係がないというが、それどころではない。
  それに対する意識だけが問題となる。)
今日は、親鸞だったか道元だったか「いわんや善人をも」という言葉を錦糸町で思いだした。
悪人のほうが悟りやすい意味が初めて分かった。
そして、健康も実は関係がない面がある。
そう言うと、健康道でもある氣道は…と言われそうであるが、ホームページの代表からの挨拶で書いたように、元より、氣道は自然健康道というよりは健康自然道である事、ご理解戴きたい。
同時に、例外もあるというか、悟りは突如として起こることがある。
それは、身心の健康、健全とは関係なく。
そして、悟ったから何が変わるわけではない。
否、大きく変わる。
確かに身体細胞は一変するだろう。
而して、それが何だと言うのだ。
私たちの本源からして肉体がどうだというのは、海を砂浜近辺の波と捉える、ホクロをしてその人全体と捉えるかの如く、全く末節な事に過ぎない。
そのように、生きている間に死に、源と一つになったにせよ、蚊に刺されれば痒いし、時がたてば腹は空き、飲めば酔う。
確かに、痒みや食欲や酔い方も激変するが、それはある。
むしろ変化するのが面白い。

ユクテスワは「健康な身体と健全な精神にこそ、神は十全と現れる」とヨガナンダに語った。
まさしく然り。
その位に考えたほうが良かろう。
然して、私たちの生命は、健康な身体と健全な精神を求めざるを得ないように出来ている。
自然に生くる限り。

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彼(か)のような、アンビバランツとも言える構造に、無(タオ、氣)と、この現実とはなっている。
実際、この日常に戻るということは、思考も戻さねば難しく、
それ故、その思考つまり私が培ってきた観念形態を取り戻すことで、目前の現実を認識し始める。
即ち、認識とは、観念形態の所産故、自分の中でのほんとうの自分とは乖離されている
創られた分離した自己の中に戻る作業である。
つまり、私たちは、コンピューターで言えば、入れられたソフトによって現実の観方が変わるわけであり、
その意味で言えば、私たちが常に味わっている現実は、夜に見る夢以上に、夢の世界に他ならない。
実際、今日も、その過程を味わったが、
それは、夜の夢に移行する時のそれとは異なるが、たしかに夜の夢へのヒエラルキーよりは、遥かに大きいヒエラルキーを、純粋意識とこの現実では感ずる。
(それを味わうところを見つめる作業は、ちょうど小説家の埴輪雄高が眠りに至るところを微分化して解説していたような感である。)

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ここで今日言いたかったことというのは、
そうした体験を今日できたというのが、ゆん君(佐野裕子)の瞑想誘導によってであること。
(長い時間を瞑想に割くという事が現在出来ない状況ではあるが、
 自身の瞑想よりも、彼女が誘導してくれたお蔭で深く入れたと思う。)
自分で或る場処を押さえるよりも、他人が押さえてくれたほうが(整体)効果が増すという事が味わえた。
もちろん、うまい方が押さえる、誘導するというのは前提であるが。

そして、氣道が上記の如くである以上、
個人指導(整体)は、その(悟りの)ための体現でなければなるまい。
と常に言っている。
而して、完全な無では、現在の私の力量では、中々に難しい。
この理由については、また別項あるいは、次回以降の【整体法修得一年コース】の中で語ろう。
現在の私は、そうした経験をしてしまうと、(何度も言うようにただ元に戻るだけの経験である!)
日常生活に戻るのは以前よりは早くなったが、そのままの感覚で日常生活もは、出来たことも去年あるが、中々に難しいのである。
 (それを、サルビカルバサマーディの段階というらしい。もっと進めば、日常生活もそのままできるらしく、(それを、ニルビカルバサマーディという。ラヒリ・マハサヤはそうだったらしい) 今言ったように、一度その体験をしたのだが、(私が味わったことが真実それと同じかどうかはわからないが、しかし実際そうした体験をしたので参考のため書かせて戴く)それはほんとうに「こういうこともあり得るのか」という感じで、二つの自分がいる、というと語弊があるが、どちらも使える、意識レベルそしてそれらを管轄する意識レベルがあるという感じだった。いみじくも、そのときに、ゆん君(佐野裕子)に、「どうして先生は同時にそれができるのですか?」と見破られてしまったのだが、恥ずかしながら正直に言うと、それ以降は、中々出来ていないのである。)

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こうして、思考、言語を使い始めると、その面白さに引き込まれて、つい饒舌になってしまった。
(思考やコンピューターが使えるまでなった事はありがたい。
 明後日からの沖縄はどうなってしまうのか、とも東京道場では思っていたので。
而して、これにて、また瞑想に戻りたし。

(追記/最後に。上記に(つまり真の氣道に)興味のある方は、
     クリシュナムルティの本や、ステファン・ボディアンの「過去にも未来にもとらわれない生き方」、
     治療の書(あるいは偶感集)野口晴哉著、「あるヨギの自叙伝」ヨガナンダ著
     を一読されるといいと思います。
     その上で、8月の【氣道の学校】(【心の学校)にいらっしゃったらと思いますが、それは、
     沖縄から私が帰る事が出来て、かつ…という感じでしょうか。)


     
これをご覧になる皆さまに、
永遠の幸せより、
祝福の氣が伝わりますように。


合掌。

 無

 

    無                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         




沖縄3

そうか…
断言までしてしまったのか。

これは沖縄での個人指導の事。
(委しくは、
 http://kido-staff.jugem.jp/  の「この週末、沖縄にて特別講座、初開講!
 を、ご参照の程)

それによると、
淨潤先生、断言!
 「沖縄の皆様のために、その方にあった一生残る愉氣を行います。」
 これはお金の問題ではないのですが
 
おそらく受けられる料金の、数十倍、数百倍もの価値はあることだと思います。 」
…との事。
 (数十倍〜数百倍となると、一回数十万〜360万!)
こ、これは、凄い…
私も受けてみたい…
 (ちなみに、今まで受けた整体で最も高かったのは菅野満氏の8万円であった。)
───などと言っている場合でなく、最終準備&確認をしなくてはなるまいが、
しかし、確かにそう。
今後、沖縄の皆さんとお会いできるかどうか、分からない訳ですからね。

この方とは最期の整体となるだろう、という整体は数多く行ってきたし、
常に言うように整体は「一期一会」の場故、
大概はこの方と二度と逢えぬかもしれない、という覚悟も持って整体を行ってきたが、
初めてお会いする方に、最初で最後の整体と分かって行った経験は、もしかしたら百名にも満たないのかもしれない。
しかも沖縄では、それが全員である。

而して、同じ人と出会っても同じ身体に出会う事は無かった。
私もまた、日々、否、瞬瞬生まれ変わる。
その刻々の生まれ変わりを感ずるに、「今」という掛けがえのない一期一会を際限なく生きている事を実感する。
即ち、一秒の中に何十回、自身との一期一会があるのだろうか。
そうした実感と共に訪れる、鋭利に時間が剥ぎ落とされる事によって現れる、この「時」のない空の感覚から導かれる、息の深さと共に沖縄に行こうと思う。

「いのち」と「生命」との関係性を繋ぐのは、常に、息そして息の背後にあり息を創っている源の調べだ。

沖縄の方々、待っていてくださいな。
そして、帰ったあともずっと愉氣してますよ。

(もちろん関西、関東で受けられた方も。)


鎌倉(沖縄2)

今までずっと書き、校正していた文章が全て飛んでしまった。

昨日のつづき。
鎌倉での様々なシンクロ。(ターニングポイントの事)
東京道場の指導が今年一杯になる可能性。

その他、叙景詩の如くなるよう、何度も校正を重ねていたところ、
全ての文章が何処かに行ってしまった。
今までで一番纏まっていたかと思う文章だった故、
唖然とし、この30分探すが、見つからず…
また気を持ち直す事ができた時、この日記に向おう。

明日の東京道場そして沖縄での指導を充実させたし。

沖縄1

中学の頃、毎日のように砂浜で見つめていた。
水平線の向こうに沈む陽日と傍らの雲の色合いの変化を。

夕暮と黄昏との間、世界が止まる透明な時が訪れる。
そう言ったのはヤキ族のインディアンであるドン・ファンだが、私と麻原先生はその感覚を共有し、そして私は禅に勤しみながら、その時間の中に自己を無くし本当の自己に至ろうとする、その流れに常に身を浸していた。

黄昏に至らんという時間、世界はその自己の殻を脱ぎ、私たちに真の姿を見せ始める。
音の無い音が現れる。
そうして、私たちは息の狭間に還ってゆく。

そうした想いを日々抱いた鎌倉に明日行く。
あの頃は、いつも麻原先生がいらした。
(いつの日か、先生との約束を叶え、会報で往復書簡を公開したいものだ…)
明日は、或る方と会うために行く。
その方にお会いするのは二回目となるが、一回目は、岡島先生と毎週来て以来20年ぶりの鎌倉であり、麻原先生との想い出、否、私の10代から20代までをなぞり俯瞰し、そして新たな旅を麻原先生やその方に紹介するような旅であった。

ひとり──この言葉は、単に孤独や孤立ではなく、ダン先生や私にとって1=0=∞という言葉であるが、明日は、私にとってターニングポイントとなる旅であろうと、以前から思っていた。
未来の記憶──人は、自らの未来を知っている。
時間と共に歩もうとする時、つまり未来を楽しまんとして、この重力ある地球を選び生まれる時、
あるいは、今日という日を選び朝生まれだ時、
なぜ、アガスティアの葉を開けようとするのか。あるいはそれ以上に当たるという眞由儒さんの処に行こうとするのか。
自らが封印した葉や扉を開けるのは、自らという神がいい。
───そうした事を教え、そして楽しましてくれるこの世を選び、そして見ているのは「私」だ。
この日記も、「私」が捉えている。
すべて「私」だ。

黄昏から夜に移る時、透明なひとときから闇に戻る時、
私は暫く砂浜で佇み、その移ろいに去来する感覚を日々味わっていた。
自宅には戻るが、ほんとうの家を得つつある感覚と共に。
そう、臨済の「人生は仮舎にあって途中にあり、途中にあって仮舎にあり」ではないが、いつも途中であり、同時に今、ほんとうの家にいる。
家──それは、今、そのものだ。
その時、身体は、そのまま聖地となっている。
氣道。

今、というこの瞬間をどれだけ微分化できるのか。
今は現在ではない。
限りない限りない、瞬間の瞬間を再現なく調べそこに入っていく。
すると、時間軸から外れた「今」が現れる。

整体中、それを味わう事がある。
特に東京道場では自ずとそうなる事が多い。
今週土曜(19日)から沖縄にて講座と指導を行う。
紹介はスタッフブログや会員用ブログにてあるかと思うが、明後日からの東京道場同様に、そうした「今」を味わって戴けたら幸いと思う。

氣道が道である以上、それは研鑽の運びであるが、
而して、世界は自分以外にはない故、その道も、自分の道である。
堂々と自分の道を生きるべし。
かつ、相手という自分の世界の中の(自分の鏡の)自分の意見を大事にし、
ただただ、愉氣し呼吸を同調するべし。
会話の時、少なくとも数時間は同調されたし。
否、時間ではなく、同調に全く努力が要らなくなり、同調せんと思わずとも同調している状態になるまで行うべし。
すると、世界が割ける。

夕暮れと黄昏との間という表現は本来無いのだろう。
しかし、私はその「間」に、ドン・ファンが言う、透明なひとときを感ずる。
そして麻原先生と共感共鳴する。

夕暮れと黄昏の間は、世界が「割ける」ひとときである。
息一つ、は整体の奥伝であるが、それは自分の息と一つになる事でもある。
野口晴哉師は、自然の息とも言う。
(委しくは過去のの日記を。全文掲載 。)
そのヒントの一つがその時間にある。

私たちは、透明から生まれ透明に還ってゆく。

多くの先達、聖者は、光という。
あるいは闇という方もいる。
私のレベルでは分からない。
目を閉じれば、目がつぶれるが如くの光の時もある。それさえもWhat am I?を行えば闇となる。
全き無であり全だ。 としか言えない。
見れば、そのものにもなるし、意識を身体に置けば自分にも戻れる。
悟り無し、とは野口先生の言葉である。
私が成瀬先生といくら飲んでも、今だに尊愛するのも、その理由に依る。

面白し世の中に生まれた事、感謝したし。
そして、その世を創り、同時に見ているのは常に「私」である事。
自分以外、何一つないという事。
ほんとうに何一つないという事。
(これは、直感的ではなく、左脳を働かせて考えてもその結論になるだろう)

ならば、どうするか、である。
いつか「幸せの研究」という講座を開こうと思っている。
今日の日記は、その川切りでもあるが、その前に一度、
今までの総決算、あるいは、明日からの鎌倉の流れに沿って、
沖縄での講座、指導を行う。

(注/きっちり行っている方へ
 何度も繰り返すが、今は現在ではない。(現在だとかなりの時間幅が出来、時間軸が作動する)
 今は、時間の中には無い。
 而して、それを、限りなく微分化してゆく。)

「やせる講座」

 昨日は、ほんとうに有り難うございました。
 (母には朝電話をし、偶々に父も出、歓んでくれました。)
ライヴにいらした方、ほんとうに心から感謝しています。
私と共に、これからの一年をほんとうに真剣に創っていこう、そして創れるというライヴに
潛在意識への一石になったらと願っています。
(その後、ライヴにいらした方から(共演者からも!)感動のお便りを戴き、本当に光栄そして、皆さまこそと愉氣を遅らせて戴いています。)

さて、前日記にも書いた通り、
今週、土曜日には「やせる講座」を行います。

(以下、転載)
      12日(土)は、8年ぶりの痩せる講座
        私自身が、野口整体やNLP、オリジナルの潛在意識活用法を用いて、
        3週間で20塒遒箸靴身訶舛鮓開しますが、
        そんな事よりも、
       「この方法よりも、楽で自然に痩せられる方法があったら教えて欲しい!
        と思っています。
         (ほんとうは全額返金システムを作りたかったですが、それは告知が間に合わなかったので、
          DVDがもし、販売された時にはそうしようと思っております。)
        ご自身が痩せたい方だけでなく、家族の方、クライアントの方を痩せさせたい方、
        あるいはデトックスしたい方もぜひご活用ください。
        
http://npo-kido.com/schedule/special.html

 しかしながら、今回の講座を準備するにアマゾンで検索したら…
 今は、色々なやせる本が出回っているのですね。
 「あららん、これは私のパクリでは…」
 …という本もありました。
 実際、恩師(岡島瑞徳師)も、
 「潤、ごめん。今度の痩せる本では使わせてもらった。
  その代り、潤の名前を書いたからね…」
 という事もありましたし、昨日も親友と話したように、ダラー・ブランドの演奏と全く同じ曲をキース・ジャレットが、かの有名なブレーメンコンサートで、
 即興演奏として弾き、しかもそのほうが…
 という事もありますし、
 101匹目の猿の話ではありませんが、そのように技術の進化に貢献できるなら、とも思います。
 
 そして何より、私をして「何より簡単に自然にやせる」技術を開発したのも、
 それ自体が、101匹目の猿だったのかもしれません。
 即ち、歴史の流れとして、そうした役割を演じさせて戴いただけなのかもしれません。
 これは、即興演奏や整体指導を行う時に、よく感じます。
 自分が行っているという自力が極まると、まるで何かの媒体になっているような他力的な感覚になるものです。
 そして、実は、私たちすべての行動がそのようなのかもしれませんね。
 それで、今もって私は、氣道を提唱し、【氣道の学校】(中等=【心の学校】)を開催しているわけです。
 そこでは、瞑想を深めることと、夢の実現という両極が実は一つの輪に「しようとして」生まれてきたこと、すなわち氣道を実感して戴きます。
 今年は8月に開催されますが、生きるとは何か、「生はただ生があるのみ」というヴェーダを実感したい方、夢を実現するにはどうしたらいいのか、を真に求める方は、ぜひ、
mail@npo-kido.comや045-261-3300までお問い合わせくださいませ。

 さてさて前置きが長くなりましたが、
 今回の「やせる講座」は、凄いです。

 アマゾンで選んで数十冊の本を購入しましたが、目新しいものは一冊くらい。(それは大変古典的な本でした。また苫米地さんを初め、聴くだけで痩せるCDもありましたが、それはこの講座のプレゼントとして、お楽しみにさせて下さい。更に強力です。)

 皆、身体からのアプローチや、あるいは心からのアプローチに偏っていますし、
 何より、野口整体や身体均整法の秘伝を知らないのですね。
 
 そんな訳で、もっと進歩しているかと思ったのですが、その意味ではガッカリで、
 また、もう一回、101匹目の猿になるか、と思いました。

 そして、もう少し時間をかけて(せめて2日間)、やせる合宿をしたいな、とも思いました。
 
 そんな訳で、当初の思いと異なるところもあり、
今回の「やせる講座」は、かなり強力で、凝縮した内容になってしまいます。

 その点お詫び申し上げる次第ですが、逆に言えば、少しでも「やせたい」方は、ぜひご参加くだされば、きっと驚かれることでしょう。

 何より、体重と体型の変化に。

幸せ (2)  時事の話題と共に

 
 明日は3年8ヶ月ぶりのソロ・リサイタルである。
http://6901.teacup.com/kidomusic/bbs 正確に言えば、まだお会いした事も演奏も聞いた事もないパーカッションのマルコス氏との初共演もある)
ライヴ数日前からは、いつもそうであるように、耳に入ってくる音や音楽に気遣う。
それはプロとしての嗜みというより、何故か耳が敏感になるのか、自然に気遣いたくなってしまうのである。
ある時は無音を求め、ある時は特定の音や音楽を聞きたくなる。

昨日は久しぶりにTVを付けると政権交代との事であった。
菅氏のノンバーバルな表情や声からこの交代劇の内幕に小沢氏の言葉がある事や、数日前の鳩山氏の政権続行のサインとして親指を立てた時には既にこの交代劇が用意されていた事が伺える。

一昨年、或るマスコミ関係者より「先生、来年はインフルエンザが流行ります」と教わった。
来年インフルエンザになる身体の人は多くなかったので不思議だったが、実際、昨年になってみると世間ではその通りだった。
しかも、実際の羅病数や死者は以前にインフルエンザが流行した時よりも遥かに少ない事には触れられていなかった。
誰の利得になるのか分からないが、そのような情報操作が常に行われているのは残念な事だ。
「人の行く道に裏あり。花の山。」という格言ではないが、表の情報だけを得ては真実が得られないのは、政界に限らず、医療界、精神世界にも同じ事がいえよう。
しかし、その裏情報が真実であればあるほどこそ恐い面がある。
情報操作の影響こそ受けないが、真実故、かえって情報そのものに影響を受けやすい心を作ってしまうからである。

私たちの思考は、その殆どが過去から現在までの様々な情報による暗示によって成り立っている。
野口晴哉氏は、自分とは今までの暗示の集大成に他ならないとまで云う。
自分で考え、行動しているつもりであっても、実はそうではなく、そうした知らず知らずに受けた暗示によって形成された自我、観念によって、考えさせられたり行動させられたりしているに過ぎない。
 
そして、そうした観念、思考が過大になると、私たちの生命そのものに影響を与える。
生命力すなわち自然治癒力、瞑想、タオ、氣を発現するのに最も邪魔になるのが固定化した観念であると氣道会で常に云うのはそのためである。

20代半ば、整体の上達に邪魔になるものは出来る範囲で排除していこうと思った。
整体は愉氣を深め感覚を鋭敏にしなくてはならないため、最も邪魔になるのは、観念や思考である。
となると、それらを形作っている情報をできるだけ少なくしなくてはならない。
そのため、新聞、TVを見るのを止めた。電車の吊り革広告を見るのを止めた。
効果は絶大だった。
 
その後、調子に乗って、椅子、洋服、靴、横座り、汚い言葉、砂糖、朝&昼食、等々、止めていくことを増やしていき、最終的には食事は夕食のみ、文字は野口晴哉師の文章のみにしていったが、
最大の効果があった新聞とTV、吊り革広告は今もって殆ど見ない。
そのため、現在、【氣道の学校】(心の学校)でも、瞑想期間中は、「心の断食」と称して情報のシャットアウトを薦めている。
瞑想を深めたい方はもちろんのこと、感覚や感受性を少しでも活き活きと鋭敏にしたい方は、ぜひお試し戴きたい。
新聞、TV、吊り革広告を初め、特にコンピューターやを、全く見ないまでにいかなくとも、出来るだけ見る時間は減らしてみたらいい。
(そうして…たとえば穏やかに散歩をする時にも、歩く時にみえる木々や街並みもできるだけ思考を働かせず、かといって傍観するのでもなく、素直に味わい愛でるといい。)

そのような「プチ情報断食(心の断食)」を、行っていると、自分の思考の動きが見えてき始める。
そして、一週間を待たずとも、数日間で、さまざまな事が歴然と変ってくる。
それは感覚や感受性、心の閑けさのみならず、身体の感覚までもが如実に変化してくる。
そう、真の幸せは、余分なものを剥ぎ取ってゆくことによってのみ、忽然とその姿を顕してくれるのである。

明日の演奏は、いつも通り即興の演奏である。
それ故、その場では無心になるし、また無心になれるような準備をしてゆくのだが、その結果どのような音が訪れるのか分からない。
その怖さと新鮮な歓びがあるので、今だに即興演奏活動を続けているし、まただからこそ、数日前から自然と冒頭でいったようなモードになってしまうのだろう。
これまた剥ぎ取って、即ち「0」になるために禊いでいく歓びである。


36?年前の明日の朝、6時6分に、私の母は、産みの痛みから開放された。
今のべたように、演奏の時は、限りない無心から、そして、その後、
その時のその場で自ずと生まれる一期一会の調べに沿っていくだけである。
(そして、それは整体も全く同じである。)
ただ、こうして書いている今、そしてピアノの前に座り鍵盤に触れるまでは、
母への限り無い感謝と共に、ライヴにいらして下さった全員に感謝と元気を捧げたく思う。

自分を追い込むようだが、(まるでヒマラヤ岩盤の頂の上で整体せよと)
お時間がある方は、ぜひいらして下さい。
http://6901.teacup.com/kidomusic/bbs (音楽掲示板)
http://kido-staff.jugem.jp/ (スタッフブログに新鮮な情報が載っていました!)http://www.airegin.jp/ (明日のライヴハウス「エアジン」)



 …………………………………………………………………………………………

追記/その後のschedule。

      10日(木)の「読書会(公開稽古会)」第一回は、
        残念ながら、【氣道の学校】卒業生のみの対象であるが、ステファン・ボディアン著「過去にも未来にもとらわれない生き方」を読みつつ氣道の神髄を語る連続講座(第一回)であり、
        (本当は、この本を読むと悟りへの毒があると思い、
        本の題名を公開したく無かったのだが、しかし幾つかの理由により(一番は著者のステファンさんの思い(それでも書いた)も鑑みた事)、公開することにした。)
        実は今年度の隠れた最大イベントでもある。
         (本当はヴェーダの教典にしようかと思ったがそれは後日)
        参加資格のない方は、せめて同著をお読み戴きたい。
       (16〜18時。3千円。同著をご持参の事。資料もお渡しし、ワークも行う。)
        
      12日(土)は、8年ぶりの痩せる講座
        私自身が、野口整体やNLP、オリジナルの潛在意識活用法を用いて、
        3週間で20塒遒箸靴身訶舛鮓開しますが、
        そんな事よりも、
       「この方法よりも、楽で自然に痩せられる方法があったら教えて欲しい!
        と思っています。
         (ほんとうは全額返金システムを作りたかったですが、それは告知が間に合わなかったので、
          DVDがもし、販売された時にはそうしようと思っております。)
        ご自身が痩せたい方だけでなく、家族の方、クライアントの方を痩せさせたい方、
        あるいはデトックスしたい方もぜひご活用ください。
        http://npo-kido.com/schedule/special.html

       
      なお、その翌週は、私は生まれて初めて沖縄に行くのです。
      26日にhttp://kido-kaiin.jugem.jp/?eid=15で紹介されているように、
      アネモネの講座がありますが、同講座を沖縄にて19日に行います。
      追って、スタッフブログか会員用ブログで紹介されると思いますが、内緒でここに告知まで。
 
   しかし、講座ではなく、一番は、皆さんと直に触れ合いたい。
   その意味では、個人指導をお薦めしています。(生ビールの学校も、今年は来月にもう一回あるのですね。そういう時もありますが…)
   つまり、表面的には、講座をお薦めせざるを得ませんが、
   ほんとうは、個人指導(整体)を通して、
   身心を整え、皆さまと本源でお付き合いをさせて戴けたら、と願っております。
   その日程は、9日(水)10日(木)12日(土)13日(日)23日(水)24日(木) 横浜
           18日(水)19日(木) 東京
    です。
    今日も、九州(福岡)から飛行機でわざわざいらした方もいらっしゃいました。
    前回の時と激変して、今は数年来の腰痛もなく、未来の希望に燃えています。

    どうぞ、ぜひ、ご活用して戴きたく願っております。


 ───なお、以上、お問い合わせ先は、mail@npo-kido.comまで遠慮なくどうぞ!

 (次回のアップロードは、いつも通り、月一回…
  まではいかなくとも、また空いてしまうと思いますが、出来得る限り時間のある時は、書かせて戴きます。
  (まずは今回アップロードしたものを、明日以降も使えるように、校正をしていくつもりです。)
  そう、「自然掲示板」http://8003.teacup.com/joho1/bbs
  
も、そろそろ終了ですので、次なる「野口晴哉先生にご縁のある宿」を早めに紹介したく思ってはおります。)

 まずは明日。
 九州でばないですが、関西からわざわざいらっしゃる方がお二人。
 顔晴ります。

 皆さまも、素敵に一日になりますよう!
 (心から…そう。
  ちょっと「生ビールの学校」よろしく、細工をしました。
  この日記をお読みになった方に(日記なのみ盗み読みする方に)とって、
  一番いい身心の状態になるような設定の愉氣をさせて戴きました。
  今、いつまでその氣(エネルギー)が残るのか細かく調べたのですが、40年後まで大丈夫なので、
  きっと今日書いたブログは氣(エネルギー)入りのままなのかもしれませんね。
  (今後も、出来る時はアップロードの際行います。なお、以前の日記はしていませぬ。)

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