淨潤日記 「日日是好日」

氣道協会代表・長谷川淨潤のブログです。

700枚の撮影…

 エアジンライヴあとに、日記を書くのは以前の通例だった。
 現在の会報の巻頭言は、去年の3月のライヴあと、弟者が来るまでの間に書いたものだった。
 (今だに、その文章が会報では続いている!)

 今日は、金剛さんとエレベの中村大さんとの初顔合わせ。
 ビートの効くフリージャズは初めて世界だったろう。

 写真家の荒谷さんが
 「淨潤さんの演奏姿は面白い」ということで、今日もいらして下さった。
 
 演奏家としては、音ではなく、その姿を見られるのは、
 水鳥の水面下の足の運びのようなものなので、痛痒の感はあるが、
 何にせよ毎回いらして下さるのはうれしい限り。
 その旨、今日は直接にも言ってしまった。
 (そう、銀座ギャラリーで公開された100人のジャズメンとして、袴姿を撮って下さったのも荒谷さんだ。)

 今日は、他にも何人の方が写真を撮って下さっていたが、
 荒谷さんは「たくさん撮ってしまった」とのことで、皆が、どの位とったのですか?と問う。
 「いや、たくさん撮ってしまって…」
 だけの返答が続いたが、
 別の話になったあと、またその話題になり、詰問された時の答えには、唖然としてしまった。

 今日は、プロ中のプロのカメラマンに700枚以上の撮影をさせた演奏を誇りに思おう。
 金剛さん、大さん、そしてかどちゃんを始め、今日いらして下さった方々、
 皆さんのお蔭で(ライヴは参加者と共に作られる)今日の演奏ができました。
 この場を借りて、感謝申し上げます。

※なお、金剛さん(金剛督)や、エアジンにて、
 Googleにて検索されると、今日の演奏写真などもアップされていると思います。
 (いつもはユーチューブでも出ますが、今日はないかもしれません。)

 
 

長月の整体

8月末辺りから既に秋。
人間の体は既にこれから未来の情報を取り入れて反応している。
死ぬ4日前に腹部禁点に硬結が出るのもその一つだが、

【氣道の学校】を終えて (或る方へのメールより抜粋)

 
そう、【氣道の学校】は、私にとっては、お産婆さんの学校なのですね。
 
ご参加される皆さんにとっては、
出産の旅であり、また自分が生まれる旅でもあるでしょう。
 
(実際、出産を経験した女性は、
 出産時と全く同じ感覚だったと言っていました。
 そしてセッションを終えられた翌日は、
 自分が産まれた感覚だと言っていました。)
 
そうしたお産婆さんの役が何より私は好きなのでしょうね。
 
そして、その出産が、こうしてどんどんと自然に楽になっていくことを見るにつれ、
産婆役である私は、
ほんとうに自然な分娩の素晴らしさ、そしてその環境の育ち方に感動せざるを得ないのです。
 
私は…何も行っていない。
そして、さらに行わなくなっていくのでしょう。
これは、滝行もそうですし、整体も、「凡て」がそうなりつつあります。
(もちろん、中には、今日もそうであったように、
 少し難産な方もいらっしゃいます。
 そのほうが、たまには嬉しかったりして?)
 
すべてが、そうして自然にまかせていくと、育っていくのでしょうね。
今回の、そして今までの【氣道の学校】を感じ、
モリケンさんではありませんが、
私たちが、一生懸命、努力して考えるよりも、
まずは自らの本源に還り、
そこからの働き、動きにまかせ、
思考をも自然な位置にしていくことの大事さを、
あらためて感じた日々でした。

※実は、この投稿の数日前に一つ投稿を書いたのですが、
 それが投稿されていず、かなりショックを受けています。
 (その中では、久しぶりにこの日記に向かうことと、
  ゆん君が、滝行に関係する投稿をこの中でアップしてくれたことの感謝の文章もありました。)

葉月、近況

初めての8月の 「滝行」。
今から楽しみだ。
滝行というと、聞いただけで 「オッカナイ」 とか 「修行でしょ?」 と思い、
「私とは関係ないわ…」 と思われる人も多いようだ。
しかし、これほど気持ち良いことは、他にあまりないと思う。(特に氣道の滝行はそうだ)

実に爽快!!
流れ落ちる清水で身も心もクリーニングされてしまう。
オマケではあるが、マイナスイオン効果も相まって何より美肌効果がある。
これほど爽快で、瞬時にリフレッシュされる健康法は他に見当たらない。
滝行の経験ない方も、経験ある方も、ぜひ氣道の滝行の気持ちよさを分かち合いたく思っている。

葉月の整体

7月同様、夏は汗の処理、クーラーによる冷えさえ注意すれば良い。
よく働き、よく遊ぶ、この積極的な体の用い方が、そのまま夏の健康法につながる。

而して、8月の注意は、
7月の整体に書いたことを遵守して戴ければ良いのだが、
8月も中旬以降となれば、野分といって体の働きも穏やかになり、
そして後半になれば、場所によっては体は秋となる。
 
(体は、気象庁の予報よりも数週間ほど早くその季節になっている。
むしろ旧暦のほうが体の季節に近い。)
 
そのため胸椎5、10番が捻じれたり、3、4番が過敏になったりする。
体をよく捻った後、側腹(脇腹の皮膚や筋肉)を摘み、
腰部活点(腎臓)、足裏を(整圧)愉氣すると夏のだるさも抜ける。
 
また水分を取りすぎると余分な発汗につながり夏バテを誘導しやすい。
暑くて仕方のない時は、頭頂部とそのやや前をおしぼりで10分程冷やすとよい。
 
(氷よりも水や氷水で絞ったもののほうが効く。温かくなれば絞りなおす。)
 
体の火照りがとれてゆく。(これは三才以下六十才以上の方の発熱時にも有効だ。)
 
8月は足首が急処であるため「足首回し」も併用されたし。
簡単に思えるがほとんどの人がうまく出来ていない。
一度個人指導時に教わり、確認してもらうといいだろう。

狂う〜撃沈〜伝えるといふ事〜その上でも

和光同塵(相手のレベルに合わせる)、と釈迦は言うが中々に難し。
今日も「真に狂う」と真実が浮かび上がると或る方に言ったが、
「そうなのかもねェ。。」
との返答。

関係性のなせるわざであろうが
(それ故撃沈&猛省中即ち最初のボタンの掛け直し中である)
たとえ関係性のなせるわざでなくとも、
またそれが左脳であっても、徹底的に考えれば、その結論になる。
それ故、
たとえ話や、
他のことと照らし合わせて表現せざるを得ない。
「真に狂うというのは、たとえば自動運動みたいなものでしょう。
 そして自動運動を深めれば、晴哉先生の言葉を借りずとも無に至る。
 それは経験がないのかもしれないけど、そう言っていますよね。
 実際そうなのですよ。
 瞑想と自動運動とは、目的も同じですし、また両者、連動してゆくわけですが、
 どちらも無(空)を目的としている(即ち悟りを目的としている)わけですよね。
 真に狂うという意味は、これでお分かりでしょうか。」
…という如くに、別のたとえ話を使わなくてはならない。
しかし、それでも腑に落ちない人もいる。

縁無き衆生は度し難し、とも釈迦は言ったが、
縁合っても、求めぬ人は度し難し。
その意味で、「縁」と釈迦が言うことは知っているが、哀しいものだ。

而して、恩師釈迦、キリストと並べ恩師岡島先が同等以上と評される野口晴哉の書いた「治療の書」を思いだす。
今、手許に無いが、其の方が斯く経過を辿る、其の方が斯く反発する、其の方が斯く答える、
凡て自分の責任である、と。
即ち、単なる内因という自分に責任を求めるだけでなく、
氣道の立処である凡て自分の観念を通して見ている立場を押し進めた上での、自責である。

今年の【整体法修得一年コース】のテーマでもある
「果たして援助とは何か?」
ではないが、
自分(観念)というフィルター、自責、を原点とし、
定まっている運命、時間、空間、夢、神その他、もろもろの言葉が、明確にキッチリと整合性あって把握できるよう、
ただ、そのためだけに、ずっとこの日記を書いてきた。

(ある程度、完了か、と思い、このブログに日記を移した次第である。
 縁作れぬ自らを反省し、はじめのボタンを掛け直したく、、
 学ばれたい方には門戸開かんと、
 今後、スタッフ研修会のみの講座であったものを9月から公開する事にした。
 「読書会」である。)

現実に引き戻される

ちょっと夢をえがいていたのだが、
家族や同僚、友人とまみえるに「現実に引き戻される」感を覚える方も多いだろう。
我に帰るという表現になる事もあるだろう。
そう。
酒に酔っていた時のように、
一時の夢に溺れてはいけない。

「君は女神だ。君と結婚したい。」
…そう結婚詐欺師は騙すが、オウムの麻原氏もその如くである。
そこまでいくと、家族でも引き戻せなく、苫米地氏の言うように洗脳になってくる。

けれども、この世のあり方を真剣に考えた時、
すでに私たち自身が洗脳されている事に気づく。
これは瞑想の深まりによる直感ではなく、左脳的にもそう結論される。

今、私たちが見ている、あるいは聞いている、あるいは触れている、
あるいは感じている世界は、
「私」というフィルターを通してしか見ていないからである。

(言っている意味がお分かりだろうか?)

すべてが私を通してしか把握でき得ない。
そして、その私は、様々な教育、環境によって培われていった私である。
即ち、洗脳されている事を知らずに私たちは現実を捉えているのである。

(氣道は「観念からの開放である」とはこの十年以上、常々言っている事であるが、
 それは【氣道の学校】に参加されれば、脳で無く実感できよう。)

まさに、現実は幻想、夢(マーヤ)であり、そしてリーラ(遊戯)である。
そしてそのマーヤは誰が創ったのか?
リーラを創った神とは何なのか?

それを実感するのが、【氣道の学校】であり、
氣道自体の目的である。

而して、
一時の夢から醒め、
「現実に引き戻された時」の現実さえもが、私が捉えている現実に過ぎなく、
それこそ、夢、幻であるなら、
(そしてそれは【氣道の学校】卒業生は全員実感する事であるが、)
引き戻された感覚とは何なのか?

もちろん、その感覚も私、自分自身の観念によるフィルターで作っているに過ぎない。
全てがマーヤ、そして神のリーラなのである。
而して、
私が観念を払拭した時、クリシュナムルティの言葉を借りれば、
思考を静め現実直視をした時、「瞑想」が現れ、私は真の(ほんとうの)私となる。
(瞑想=タオ(道)=氣=いのち=純粋意識=ブラフマン=宇宙意識(野口晴哉)=宇宙の息=神)

それが、ほんとうの「現実」である。
ほんとうの私である。

それを知る、それを知ろうとする道が氣道である。
(上記した如く、氣は「それ」である。)


たった数時間や数日の夢に溺れ「現実に引き戻される」意味はあろう。
而して、その現実もまた夢なのである。
ほんとうの現実は、私たちのほんとうの自分にしかない。

ならば、この夢中に生くる時、多いに夢を持とう。
たとえ荒唐無稽と言われても、夢を持ち、生を輝かせよう。
そうした、夢中の遊びをこそ、ほんとうの私はリーラとして行いたかったのだから。

そして、その結果さえもが、ほんとうの私は知っている。
そんな世の中に私たちはいる。

而して而して、「ただ狂え」。
真に狂った時、すると逆に真(今)が現れる。
ほんとうの私を探す旅が終える。
けれども、問題は其処からだ。

自由滝行

 滝行が終える。

 皆、素晴らしかった。
 美しかった。
 
 女将さんにも申し上げたが、
 氣道では、青木先生が創られた天真流自由滝行を、
 先生の意志を継ぎ、さらに純粋な形にして行っているつもりだ。
 (故に氣道流という言葉も付けたくない!)


 さて、「来年も必ず来たい!」
 …という方が今まで何と多かったことか。
 而して、その方は来ないのである。

 最初の感動が薄れ、月日が経てば、
 まあ、こんなものか、と単なる思い出になる。
 …これは滝に限らず、人の常である。

 而して、身体、無意識は知っている。
 その背後の魂の歓びを。
 
 そうした歓びの声に耳澄ます方はいらっしゃる。
 何よりうれしかったのは、そうしていらっしゃり、
 今回で滝は卒業だね、と言える人が今回初めて出たことだ。
 
 この20年間、多くの方が、私たちの滝行を通して、滝に慣れ親しみ、独りでも入れるようになっている。
 さらに、そのように出来るよう、次回からは工夫した。
 (私の今回の滝行DVDも、レクチャーCDと共に予約時にお送りする。
  なお、独りで入られるようになるためには、工夫がもう一つ必要なのであるが、それこそ工夫したい。)


 今年は、あともう一回ある。

 滝行に少しでも興味のあるは、ぜひ氣道の滝行を一生に一度でもご体験して欲しい。
 
 (きっと、他で味わった滝行は何?という感想になるだろう。)

明日は滝行

 明日から滝行
 (ご予約、お問い合わせは045-261-3300まで)
今年は特に楽しみにしていた。

例年の半分に満たない参加者。
きっと和やかな実り多い合宿になるだろう。
夜の歓談時間も楽しみだ。
準備のための禊ぎも終り、明日を心閑かに向かえようとしている。

文月の整体

 いよいよ夏。──── 例年、身体は、旧暦の六月下旬から夏入りする。
呼吸器が活発になり、行動力も盛んになってくる。
 
春からの養生で身体を育てた方は、
よく働き、よく遊ぶことが、そのまま健康法に繋がってゆく。
ポイントは・・・・

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