今日、日記を盗み読みした方へ

 
明日は、初めての新【お金の学校】。

お金に興味のある方は、ぜひ、前回の日記をお読みになってほしい。


時折りこんな質問を受ける。

「先生は、どなたに身体を観てもらっているのですか?」

そのたびに思う。

これは矜持ではなく、
まず思うことは、
「私の整体を受けたい…」

これは、この十年以上、ずっと思っていることだ。

泣きたいくらいそれを思い、そのために、
もうひとりの私に会いたいと、
決して後継者を作るという意味でなく!!
反対に、自分という本源に戻りたく瞑想を深めていくことを選んだ。
その理由や結果はここでは本題ではないので割愛するが、

明日の講座の事を思う時、

「過去の自分に聞かせたい」

と、今、最後の準備を終えて思うのである。
 
(その意味でも、講座ご参加を迷っている方はぜひ明日いらして欲しい。
 当日でも構わない。)

ただ、コマーシャルのつもりで書いたわけではない。

過去の自分に捧げたい講座を明日は行うが、

今、思うに、この40年間、数万人の身体を観察、調律した
過去から今までに経験した全ての結晶であり、
その意味で、

今の自分への祝福であり、
そして未来の自分への期待と同時に餞(←変な表現だが)でもあるのだろう。

私の尊愛する野口晴哉師の文章は昭和6年よりその殆ど全てを読んでいるが、
お金に対して直接書いた文章は全生新聞の中であったただ一つのコラムである。
読んだ時、その矛盾性についてもまさしく!と思い、
そして、今、
明日の講座の準備を終え、ここに向かい、
その文章を久しぶりに想いだし、
あらためて「まさしく…」と思うのである。

お金───この永遠とも言えるテーマの答えは、
実は簡単なのである。

今日も「氣道会」で健康、幸せについてをテーマに話したが、
「では、どうしたらいいのか?」
という答えは、実は簡単なのである。

明日、その答えをキッパリと提示する。

否、提示するだけでなく、実現させてゆく。

(明日は、マヤ歴で言う元旦。
 関東では雪が降ると言う。
 直前の日記にも書いたが、
 この軟弱な志、氣道男子の志をお見せしよう。
 そして、あなたを既知の、そうして未知の世界に誘おう。
 今の現実を刷新するための大いなる混乱と喜びの世界に。)

明日の元旦を共に味わいたい方は、前日記もご参照の程。
(なお、明日いらっしゃれない方で、
 この日記を盗み読む人にとっておきのプレゼント。
 明日、新月だと思って、3つ以内の願い事を午後2〜4時に書いてくださいな。
 (断定形でメールにて。手書きではなく!送信者を自分にしてください。
  そして、自分に戻ったメールは見ずに、明後日「以降」削除してください。)
 今回はおすそ分けですが、また、私の技術が進んだ場合は、この日記にてご報告します。)

ではでは、明日を楽しみに…
 

お金に対して本当に自由になるには?  (いえ、率直に裕福になるためには?)  …の無料プレゼント

 その答えを知りたい方は、
ぜひ、「お金に愛されるためには?」の無料音声ファイルを聴いてほしい。

(メルマガ購読者には、
 「幸せになるための秘訣」と「お金に愛されるためには?」を無料で提供している。
 どちらも自信作であり、
 滝行あとの録り下ろしであり、
 そのため、声は嗄れているが…
 氣道のエッセンスが詰まっている内容だと思う。
 
 それだけでなく、
 あの音声ファイル(「お金に愛されるためには?」)を聞くだけで、金運がツクと思う。
 ぜひ何度か聞いてみてほしい。

 その中で話している氣道的な考えに賛同される方は、
 最初の一週間は毎日(できたら一日二回)、
 次の週からは、「聞きたい時」と「聞きたくない時」だけ聞き、
 それを三週間、
 (つまり、どっちでもいい時は聞かなくても「いい」)
 聞いてみてほしい。

 ちょっと…
 いえ、確かに…
 面白いことがおきますよ。

  (「幸せになるための秘訣」を何度もお聞きになった方が何人かいらっしゃり、
   本当に幸せになりました。
   私が身体を見ても、ほんとうに幸せな身体になっています。
   そう、幸せもお金も、そうした身体になるのです。
   お金に愛される身体というのがあるのです。
   だからこそ、音声ファイルを録音しただけでなく、
   【心の学校(=幸せの学校)】や【お金の学校】を行っているのです。)

 
 また、この、「お金に愛されるためには?」ファイルには、
 「お金の運と流れが良くなる瞑想誘導」も録音されています。
 これは誘導の上手下手ということでなく、エネルギー(氣)のレベルでもいいかと思います。
 そしてまた、その後、下腹へのウームという「漏氣法」もそのまま収録されています。
 (現在、「気合法」の講座CDは販売停止になっていますが、
  気合法に興味のある方(そのCD購入希望の方)にとっても、
  このファイルは参考になるはずです。)

 ところが、この「お金に愛されるためには?」の音声ファイルについては、
 今週木曜日までのサービスになります。
 メルマガを講読されていない方は、ぜひ木曜日の朝10時までに、登録されてご活用して頂きたく思う。
 
 
※最後に…

 この音声ファイルを聞いて、私たちのお金に関する立処と技術に興味にある方は、
 ぜひ【お金の学校】の講座にご参加してほしい。
 今年は、今回のみ。(2/11&12)
 しかも、風水のオーソリティ鎌崎拓洋氏とのコラボ講座。
 あり得ない企画であるが、宣伝色が強くでるのが嫌な私としては、あまりここでは強く言いたくない。
 しかし、少しでもご興味のある方は、同講座の紹介ページをご参照にして頂きたい。

 私としては、
 「もしこれで昨年よりも今年の収入が二倍にならなければ、全額返金したい」
 と本気で思っている。
 これは私担当の分だけであって、鎌崎氏のは確かな風水の知識を元に(ちなみに私は大抵の風水は出鱈目だと思う。)
 個人別お金の流れを良くするアプローチも行っていくなど、遥かに凄い。
 (そのために、参加者の誕生日その他も伺う)
     ……………………………………………………………………
 
 今年、最初で最後の【お金の学校】。
 宣伝を言えば切りがない。
 (そしてまた宣伝の必要も無い。
  既に、殆ど定員一杯(あと数名のみ)で、宣伝しなくと定員になるからである。
  ただ、私の日記を読んでくださる方には、定員になる前にお知らせしたく書いた次第である。

 (もちろん、その前に、音声ファイルも活用してくださいね。
  それだけで、「もう充分!」という方も多いと思うので。)  )

 …………………………………………………………………………………………

 さて、この日記を書く前から、
 今度の【お金の学校】について思っていたこと。
 (これを書きたくて今日日記に向かったと言ってもいい)
 それは
マイケルジャクソンの言葉だった。
 彼はコンサート前にスタッフ全員に、こう声をかけステージに立つのだと言う。

「みんなを未知の領域に連れていこう」

そして私も好きなひすいこたろうによると、わずか84人で2000名との命がけの戦いに乗り込んだ功山寺決起の直前に高杉晋作が発した言葉
「これより長州男子の腕前をお見せする」

…と合わせて言う。
 今回の【お金の学校】のことを、私的にアレンジすればこうだ。

  「みんなを未知の領域に連れていこう。   
   【お金の学校】にて、氣道の真髄をお見せする。」


武士道とは死ぬ事と見つけたり。 
少なくとも、私担当の講座ではそれを実感できるだろう。
そして、ただ楽しいだけだ!

(まずは無料ファイルを聞いてほしい)






 

 


如月の整体

今月は、とにかく生水の飲用。

何よりの薬だと思って、全身に浸み渡らせる感覚で飲もう。

(脊髄行氣法を知っている方は背骨を通して飲む。

丹田に飲んだ水を全身に拡げるイメージもいい。)

水を飲んでまず変化するのが 「眠り」。

つまり頭が休まり、つまらぬことでクヨクヨしなくなり、

その結果ぐっすりと深き眠りが実現する。

次が水々しい肌の復活である。

最も皮膚の薄い眼球そして唇から変化するが、

全身の肌が瑞々しくなる頃には、肌だけでなく、

腰痛、肩こり、胃痛、せきこみ、その他さまざまな慢性的症状から解放されていることだろう。

 

どのくらい飲んだらよいか。

どんな人でも無難な量として5dℓを薦めているが、1ℓ以上飲んだほうが良い人も多い。

食事のグルメならぬ「水グルメ」になって味わいつつ飲んでみよう。

(なお飲んでも吸収できない人もいる。

そのために自分にあった量と飲み方を知りたい方は個人指導(整体)時に聞いて欲しい。

適切な量の提示と共に、水が吸収しやすい弾力ある若い体に調整します。)

 


育児日記 そのろく(「気功生活」Vol.61より)

 

「育児」とは、児を育てることではありません。

 児に育てられる、という意味の言葉であります。

 

【妊娠中】には、

 自動運動を初めとして「自分の体の声(要求)」に耳を傾け

そしてその感覚に沿って生活します。

 何よりの氣道(気功)的生活であります。

                   

 そして意識の面でも、注意を常にやや子に向け(=切れ目ない『愉氣』)、

 何かの動作をする時も、

「これから電車に乗りますよ」「座りますよ」「ご飯を食べますよ」「くしゃみしますよ」と『語りかけ』をします。

 これは仏陀が伝えるヴィッパーサナ瞑想(氣道でいう自観法)に他なりません。

 (ちなみに「私が(ママが)」と言わないのもヴィッパーサナと同じですね)

 また、毎日『散歩』をすることは、【氣道の学校】(【心の学校】)で行っている「観念無しに見る(聞く、触れる)と同様で、これはクリシュナムルティのいう現実直視の最高の訓練です。

 

 反対に、行っていけない事のトップである「目の酷使」は、妊娠中でない方であっても、現代人にとっては最も重要な身心改善のポイントでありましょう。

 

───まさに整体式(氣道(気功)的)妊娠中の過ごし方は、そのまま、人が自然に生き、裡なる自然を活かす健康生活に他ならないと言えるでしょう。

 そしてそれは、真の健康状態ともいえる悟りへの最短の道でもあるようです。

 だからこそ、出産時に悟り(目覚め)体験をされる方がいらっしゃるのでしょう。

 

 そうして【出産後】も、妊娠中以上にやや子に注意つまり愉氣を否応なしにせざるを得ません。

 ところで、ヒンズー教では人生を四つの期間に分け、自己実現の期間から最終的には遊行期といってそれらを放棄する期間となるのですが、これは心理学者のマズローのいう人間の成長に伴う快感の階梯にも似ています。

 つまり、人間は精神の成長過程において、最終的には自分のことでなく他への奉仕など自分を捨てることに向かっていくようです。

 妊娠中が自己練成の期間だとすれば、出産を通して目覚め、そしてそれ以降は、自分を捨てる訓練をただひたすらする期間といえるでしょう。

 

 日中夜間を問わない間断ない愉氣と共に、今度は母体ではなく、やや子の要求に真心から沿っていく。

 赤子のうちは、叱っても、その言葉は分からないため、叱られたという嫌な体感しか残りませんから、たとえどんなに腹立たしい事をされたとしても、すみやかに感情を処理して(=心理療法でいうリフレーミング(=捉え方の変換)、あたたかい気持ちで、その子の要求を全面的に尊重していく。

 この滅私の訓練によって親(特に母親)は、意識的にも無意識的にも人間としての完成を目指すことが出来るのでしょう。

 中国では大人と書いてタイジンと呼ぶのだそうですが、私たち人間は妊娠〜出産〜という育児によって、まさに本当の大人になるよう自然の仕組みとしてなっているとしか思えません。

 まさに育児は児によって育てられるということなのです。

───常に子供のいのちを慈しんで愉氣している限り

 

 さて、朗らかな人がいると、こちらまで朗らかな気分になってきますよね。

 ましてその人に心を開き、注意を集めて(=愉氣して)いれば余計に朗らかになります。

 これを氣の感応と呼ぶのですが、人はそのように氣の感応によって互いに影響を受け合っているのです。私たちの凡ての生活はそのように運ばれているのでしょうね。

 ですから、人間という文字は人の間と書きますが、その間の氣の感応によって私たち個人個人が影響を受けて存在しているだけなのであり、もしかしたら個人そのものというものは無いのかもしれません。

 (その意味でも人間という文字は面白いなぁ、と感じます。)

 ともかく妊娠〜出産〜出産後と、やや子に注意を集める間断ない「愉氣生活」をしていくと、やや子との氣の感応により、親も自然と成長していってしまうのです。

 つまり、上記したような妊娠中から実行する氣道(気功)的なメソッド(方法)の力だけでなく、氣の感応によって、やや子が日々成長する毎に、親も自然に成長し育まれてしまうのです。

 (出産時に目覚め体験をするというのも、もしかしたらその理由が大きいのかもしれません。)

 そうして生後十三ヶ月という人間にとっての一生の土台が終える時、親もまた一つの新しい、そして確かな土台を得ることになるのでしょう。

───常に互いのいのちを慈しみ愉氣している限り

 

 そうして

 それを自分のやや子に対してだけでなく、

 他の凡ての方々や、いえ人間だけでなく凡ての事象に対しても、

 そのように接していくべきなのでしょう。

 それをも子供を通して教えられる、というのが育てられる育児の醍醐味だと思う、今日びこの頃であります。(淨潤)


友だち

その方自身がそうなのであるが、本田宗一郎氏や、ひすい氏の言葉により、友だちをたくさん作らなくては、と思う方は多いと聞いた。
そして「先生にはお友だちはいらっしゃるのですか?」と聞かれた。
以前、この日記でも書いたと思うが、私には友だちはひとりもいない。
いるのは師と弟子だけである。
ただ親友は二人ほどいる。
もちろん彼のためには死も厭わない。

「真の友を得るのは悟りをひらくより難しい」
という或る聖者の言葉がある。
確かに同じ道(この場合、悟り)を得る者は少なし。

真の友は必ずや恋愛関係に似た過程を経て得られる。
その意味では異性の友だちのほうが近いが、
異性で真の友になる事は同性より難しい。
その前に恋人の過程を経て夫婦になってしまうからである。

そしてその時には彼らもまた死を厭わない。 
となると真の友という言葉が指すものは何なのだろう。


また…
かの聖者が悟っているとするなら、
神という真の友の光により、そうして誰に対しても真の友の因子を見る故、
世俗の友のことが陰ってしまうので、
おそらくは、或る状況にいた方に対しての言葉なのだろう。
 
上記の真の友を得る過程、
そしてまた得られる過程、
そのそれぞれを椎骨状況の変化として表したほうが本来は分かりやすい。
(それは、どんな感情的なこともそうである)
ただ、そうした人間の機微すべてを表す椎骨言語を読む方は野口整体関係者しかいないため、
慣れぬ日本語にて書き記さざるを得ないことに
伝言ゲームをしているかの如くの面はゆい感が常にあるのである。

皆様、明けましておめでとうございます (1月号会報掲載文章)

皆様、明けましておめでとうございます。

今年は氣道設立より20年。
旧年同様、整体指導を中心に皆さまの健康指導に尽力すると共に、
今年は、「瞑想誘導個人セッション」「夢実現セッション」etc.の個人指導や、
「水講座」「温法講座」【体癖操法も学べる整体法講座】etc.の新講座、
そして「自宅で学べる音声教材」や「新愉氣グッズ」の制作を企画し、
皆さんの今年が素晴らしき一年になりますよう、スタッフ一同顔晴ってまいる所存です。
どうぞ今年も宜しくお願い申し上げます。


睦月の整体

今月&来月の健康法は何より「生水の飲用」だが、

冷えるこの時期に「温熱療法(アイロン療法)」を体験しよう。


元気は元の氣。  私たちは愉氣せざるを得ないように生まれている。


明日いらっしゃる方々のための準備が一段落。

今、ひとり閑かにここにいる。

そう言えば、一昨日もこの日記に向かった。

今、行われている【氣道の学校】のことについて書いたのであった。

そして、以前もそうしていたように、
その進行状況についてのご報告までも書き添えていたのだった。

送信しようとした時に電話が鳴り、
その電話をとるためにはコンセントを抜かなくてはいけなく、
するとコンピューターの電源も落ちてしまうことにも気づかず、

そんなわけで、その膨大な文章は、
また遥か虚空にいったわけである。


その文章でも、
【氣道の学校】の面白さをいろいろに語ったが、

今感ずるに、
それ以上の、というかそれ以外の面白さを感ずる。

虚空に消えた文章や、
今まで色々なところで書いたり語っていたことは、
受講生にとっての面白さであったと思うのだが、

今申し上げたい面白さは、
私自身の個人的な面白さである。

そんなことを、ここに書くのはどうかと思ったのであるが。

ここは、
この前も、
「人の日記だから読まないよう」
と書いたのであるが、
一応は、
(ほんとうに一応なのであるが)
盗み読みする人もまあいるだろう、
という思いで書いている。

そのため、
今日はこれを書きたいと思っていても、
書けないことがあったり、
あるいは逆に、
この日記に向かうと、
つらつらと筆が(指が)運ぶ、ということがほんとうに多かった。

このところは、時間も無く、
この日記に向かうこと自体が珍しくなってしまったが、

(そう、
 自然掲示板(http://8003.teacup.com/joho1/bbs)
 にもほとんど向かえていない。
 残った情報が飛んでしまったこともあるのだが…)


今日は、瞑想と共に、
明日の準備もひとつ終え、
そして、また明日いらっしゃる方々への思いと共にあるという時であるので、
一昨日、虚空に消えた文章を思いだし、
ここに向かった次第である。

向かったのであるが、
何も書くことはない。

否、何でも書ける。
テーマさえ与えてくれれば、何でも書ける。

たとえば…
と考えてみたが、
何でも書けるので、かえってテーマを選べなくなった。

この閑かな時のまま、
ただ過ごしていたい。

それでも虚空に消えた文章を思い、
【氣道の学校】について語るとなると、

…ということで呟きが饒舌になっているが、
あえて書きたいと選ぶなら、
(それもそんな要求はないのであるが)
自分自身の【氣道の学校】についての面白さであろうか。


私は、常々いろいろなところで、
【氣道の学校】が、いちばん行っていて楽しい講座である、
と書いたり言ったりしている。

それは、何より、自分の本源に戻れるからだ。
瞑想という、
いのちそのもの、
純粋意識そのものに戻れるからという意味だけではない。

それなら、自分で瞑想をすればいい。

ちょうど一人で自動運動を行うのではない醍醐味が二人組の自動運動(相互運動)にあるのと同じだろうか。

でも、それだけではない。
それだったら、二人で瞑想すればいい。

それだけでなく、
そうした瞑想や自動運動を行う時に訪れる空間の変化が楽しいのだろう。

すると、自分が本源に戻れるのであるが、
その本源に戻る過程の中で、

純粋意識にまでいかなくとも、
いえ、感じつつも、
さまざまな発見があるのである。

たとえば今回の場合、
一日目の夜、二日目の途中までかなり抱えていたものが浮上し、
(それは他の方々のエネルギーとの相互関係であるが)
かなりしんどい状況ではあったのであるが、
それでも、本来の自分(純粋意識、タオ)はあり、
そして影響にせよ、
思考や感情で作られている自分の部分というものを、
明確に分離しながら感じることができた。
それはまるで幽体離脱しはじめた時、あるいは戻っても馴染まない時の分離感とも、
ある意味、相似象であろう。

また、関わりのない会員の方々が変化するのも面白かった。

結局、すべては自分が捉えている以上、
いえ、そうでなくとも影響し合っている以上、
すべては自分なのだろう。

それが【氣道の学校】を行っているだけで変っていく。

もちろん、【氣道の学校】の時以外も変っていくことは、
瞑想その他を通して、日々感じているのだが、
【氣道の学校】の変化力、クリーニング力は凄い、
としか言えない体験は、今回初めてであった。

(何度も言うが、参加者にとっての影響力ではなく、
 それが他に及ぼす影響力という意味である。)

おそらくは、
どらえもんの霊(エネルギー体)が存在するように、
【氣道の学校】という確かな存在があり、
それがこの十数年の間に育っているのだろう。

そうとしか思えないほどの体験をした。
 
他にも、様々な気づき、発見をし、
それはちょうど即興演奏のライブがそうであるように、
その時々の、今に則したいのちの歌、舞いをするように、
今回もまた受講生の皆さん、そして心を寄せてくれている方々、
あるいは寄せてもいないが関係あるすべての方々
と共に、
その時、その樣に作られていく
いのちの調べだからこそなのだと思う。


いつも思うのは、
お産婆さんとしての醍醐味が味わえる、
というのが、【氣道の学校】を行う楽しみである。

相手の潛在意識というか、魂というか、
それが望んでいるものを出産させる、
いえ、出産させたいものを、
自然に出産させる準備だけ援助する。

それは氣道での整体(個人指導)と同じである。

それが、もっと身体レベルだけでなく、
アストラルそしてコーザル(メンタル)レベルという変化を誘えるということである。

その理由は、連日での集中講座であること、
しかも、
少人数限定の個人指導が日々ずっと行われている時間であること、
が理由として挙げられよう。


───個人的な【氣道の学校】の面白さ。
 まだまだあるが、今宵はここまでにしよう。

 明日は最終日。
 皆さん、ほんとうに素晴らしい。

 これを読まれた方(盗み読みした方)、

 どうぞ、横浜道場に心寄せてくださいませ。

 何か変化するものがあるかもしれません。

 (心寄せてって?
  …という方は、思い浮かべるだけでOK。
  横浜道場にいらした事のない方は、何となく空想するだけでOK。
  私のことを知っている方は、私のことを感じてくれるだけでOK。
  すると、人によっては私の息が分かるだろう。
  その息に合わせてくれればうれしい。
  私もまた特に【氣道の学校】の最中は、
  自分の息が個人の息では無くなっていくことが多い。
  (演奏中、個人指導中、自分が無く、単なる媒介者であるという感覚になってしまう事があるが、
   それを講座中にも、そしてその期間中ずっと感ずるのが【氣道の学校】なのである。)
  単なる長谷川淨潤という下らない人間の息に合わせることは全く薦めない!
  (そんなのはカルトである。しかしほんとうの事を見た人に対しての場合少し異なるのであろうが。)
  ただ、心寄せるという事は「息を合わせる」という事であるという事を言いたく書いた。
  私という長谷川淨潤の存在に息を合わせるを通しても、この期間中はいいけれども、
  (書いていてはばったくなっている。そんなのは強制とか薦めることでなく、
   好きな人は自然に行っていることなのだから。
   なので、意味のない文章である!!)
  それよりも、私を通してその背後の息、
  月を指さす指を通して、月自体を見るつもりで、活用していって頂けたらと思う。
  
  (そう、それこそ、この日記の活用方法だと思う。
   大抵の盗み読み読者は、
   「ああ、また淨潤が馬鹿なことを…」
   と思ってくれてはいるだろうが、
   「淨潤先生…その息に合わせたい」
   などと思う変な人がいたら、多いに勘違いであるので。
   何度も書くが、合わせようと思っていたら、もう分離がある。
   そして、合わせたくなった時は、すでに合っている。
   ただ、それでも
   合わせたくなった時には合わせよう。
   元より人は氣(タオ、純粋意識)そのもの。
   それを元気と言う。
   ただ、瞑想したくなったら、自動運動したくなったら…
   その時はしよう。)



さて、また明日いらっしゃる方々にも愉氣したくなった。
今宵はここまで。

【氣道の学校】という
この一粒の種が、何かに響きますように。
この一粒の種を創ってくれた流れに感謝しつつ。
そして、
そうした流れがあり、その流れ沿う醍醐味と、
その流れにも一粒の種が卷ける力を与えて下さった事に感謝しつつ。
そして、
それさえも越える沈黙と共にあれる喜びを味わいつつ。


それでも私は愉氣をする 2

 
(つづき)
 
怒りや理論では人は動かせない、愛のみが伝わる、
───という言葉はほんとうの事だ、と馬齢を重ねて思うようになった。
しかし時には怒ることも必要であろう。
何でもよしよしという腑抜けた態度では相手のためにもなるまい。
しかし、たとえ怒るにせよ、その人を愛しているからこそその怒りが出るのかという点が大事なポイントだろう。
怒る時こそ、その人への愛を確かめられている。
 
しかし、私が言っているのは愛のみが伝わるから愉氣するという意味ではない。
伝わらなくともいい。
ただただ、ただただ愛(愉氣)す。
 
また、氣道で言うように、すべての事象は自分が捉えている以上、すべては私の反映であるから愛さなくてはならない、という意味でもない。
ただ愛す。
ただ愉氣する。
理屈ではない。
また正しい事かどうかも分からない。
なので、人に薦めたいことではまったくない。
(そのため、この項を日記ブログに掲載するには数年の間があった。
 しかし、私をして、ただ愛し愉氣するのと同様に、止むに止まれず今日投稿したくなった次第である。)
これは単に私の性分に過ぎない。
故に偉そうなことでは全くない。
性分に過ぎないが、しかしどんな事があっても愉氣する人がひとり位この世界にいてもいいのではないか。
 
 
何かのために愉氣をするのではない。
相手のためでもなく、
自分のためでもなく、
何のためでもなく、
ただただ愉氣する。
この身尽くるまで、たとえどのような事があっても。

師走、近況

氣道設立20周年。

記念祭にいらした方々には、この場を借りて感謝申し上げます。
 
そして今、
20周年ということもあり、私の気合いは、年末年始の 【氣道の学校】 に向かっている。
これ以上楽しい学校、コースは他にないだろう。
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