淨潤日記 「日日是好日」

氣道協会代表・長谷川淨潤のブログです。

耳掻きと危機管理

 

 他人の耳掻きをしたことがあるだろうか。

 奥のほうの掃除をするときには、かなりの注意が必要。

 特に不意に首を動かす幼児なら尚のこと。

 (注/赤子など、たいていは耳掻きをしなくともC4に愉氣すれば排出されてしまう)

 しかも、綿棒を用いないとなると、これはかなりの真剣さと技術が必要。

 少しでも怯えると、まるでそれを待っていたかのように、ビクッと顔が動く。

 絶対に大丈夫だという確信がないと難しい。

 (私たちだって、下手な人とか、怯えた人に耳掻きをしてもらいたくはないでしょう?

  いや、耳掻き自体をしてもらいたくないか。)

 絶対に大丈夫というのは、大丈夫を言い聞かせることではない。

 絶対に大丈夫と思わなくとも、理由はないけど大丈夫という確信、何となくの安心感がすでにあるのである。

 これを、私は3・11依頼に必要な危機管理と同じだな、とその頃思った。

 その後、数多くの方の体を観察し、(関東以南の場合)放射能の影響を受けている人の多くが放射能に怯える人であることに気づいた。

 全員ではないが、かなりにパーセンテージでいえる。ただ、“放射能に怯える人は放射能の影響に弱くなっている”ことは確かだ。これは100%全員だった。


 危機管理は怯えたままでは難しい。

 事実を事実として受け止めながらも、そこから気持ちだけは安心、大丈夫のほうに向けていかねばならない。

 それは子供の耳掻きと同様である。


※実は、このことは夢実現のコツ。

 何となく大丈夫と思う、何となくそう思う、という根拠のない自信、感覚があると、そうなる。

 では、そうした安心感、大丈夫感を得るにはどうしたらいいのだろうか。

 日頃からの心の持ち方だけでは変わりにくい。

 意識ではなく、潛在意識から変えていかなくては・・

 そのため私は、潛在意識の現れである身体を整えるということ、潛在意識の教育ということを推したく、日々、今日もその活動を行っている。

 (最も具体的には「気道の学校」(夢の学校)で訓練していく)

 丹田が満ちている人は、何かしらんけど大丈夫、という大丈夫感、夢実現力があるのだ。

 

※ちなみに、私は耳掻きを、子供の頃、父にしてもらったことがある。(気持ち良かったなぁ。)

 生きているうちに(お互い!)、もう一度してもらいたいなぁ。

 言葉は思考

 

  クリーニングとは、それを神に手放すこと。


 

 健康にとって何より大切なこと

 
体温を上げると、免疫力が上がり羅菌しにくくなる、慢性病も快方に向かいやすい、という事を石原医師たちが主張し、一時期ブームになったことがある。
(今も、更なる他の科学的根拠によって、復興されつつある)
その後、下火になってしまったのは、高体温のデメリットが検証されたからだ。
西医学では、体温計の発熱の目印である赤い線を37度ではなく、36度5分にすべきだ、と言う。
欧米人と違い、日本人の体温は36度5分以下が平熱であることが理想なのだそうだ。
しかし、これも個人差がある。
たしかに、34度台が平熱の人は、まるで蜥蜴のように、変温動物的で、気温が低ければ体温まで低くなってしまう。
反対にいえば、平熱が高い人であっても、
気温に左右されているようでは、整体(健康体)とはいえない。
体力が衰えるほどに、外の天気の影響を受ける。
中には、「台風が直撃するかどうかが分かる」という便利な人もいるが、「明日、雨が降るかどうかが分かる」までいくと、変温動物のそしりを免れない。
「裡に力があれば冷えない」とは野口晴哉師の言葉であるが、
体力のない者、整っていない者が、外的な影響を余分に受けやすい。
 
寝しなの入浴が良くない、のは温めるとかえって冷やす働きが人間にはあるからである。
そう、体力のある者ほど、冷えれば温かくしようとするし、暑ければ冷やそうと、体がしてくれる。
高体温がいいのか普通がいいのかの議論を置いておいても、
まず人間が物ではなく、生き物である、ということから出発しなくてはならないのではないだろうか。
 
どうも、最近の健康法、医学、科学は、人間が生きているということを抜きにして論じられているような気がする。
かりに体温を上げるのが良いとしても、
そのためには温めればいい、という発想は、
陰性だから陽性の物をとればいい、という発想同様、
あまりに短絡的すぎ、人間が生きている、ということを忘れている。
 
これは、医学者や識者、健康法の創始者を責めているのではない。
そうした情報に翻弄される私たち自身の責任だ。
だから、私たち自身が、そうしたさまざまな情報を鵜呑みにせず、
「これはどういうことなのだろうか?」と考えていきたい。
その考えの根本が、人間が生きているとはどういうことかだと思う。
いえ、生きているのがどういうことか、は分からなくとも、
「生きているというその力を発揮するということの大切さ」を考えるときの根幹におきたい。
 
温めれば温かくなるが、温かくなろうとする力が育つのかどうか。
足らないと補おうと、短絡的に思うが、生きている者はそうは働かない。
余分に叱るほど反発する。
叱るほどに素直になる子は力がない。
そして叱らないと動けなくなる。
 
普通の体力がある人は、冬に生野菜を食べても冷えない。
ごく体力が弱い者だけ冷える。
同様、野口晴哉師は寒の水(1月2月)の大切さをいうが、それは5度以下である。
病弱な人以外は、それでかえって体力が増す。
極寒の時期でも氷水やアイスコーヒー、冷たいビールを飲む人もいる。
普通の体力がある人なら、かえって体温は上がりやすくなってしまう。
 
血液は弱アルカリ性がいいことは誰もが知っているが、
それを強力に推進するのは断食である。
しかし、断食中は血液が極端に酸性に傾こうとする。
だからこそ、その後にアルカリ性を維持する力が復活する。
 
人は物ではない。
生きている。
だから、こと健康を考えるときには、
生きている、ということを、まず念頭におきたい。
 
そして、次には、その“生きているという力”をどうすれば増すことができるか、を考えたい。
 
それについては、私たちは何より気持ち(心)、
そしてその気持ちを作る潛在意識(体)の面から、
いくつかの具体的な方法を推奨している。
しかし、それらの方法も、
足らないから補うという発想で行われたのでは、生命の力は発揮されない。かえって萎縮してしまう。
 
 
三つ目、四つ目として、申し添えたいことがある。
それは、一言でいえば、個体差ということ。
たとえば、
「体温よりも少し高いゆったりとしたぬるめのお風呂」に気持ちよく長くつかる
のを常習としているのは脳溢血の製造法になる。
ちなみに、寝ているときに靴下を履くのも同様。
普通の体力のある人だと、温めなくとも温かいわけだから、その血は脳にいってしまうからだ。
頭寒足熱は、体がそうなるべきであって、外からそのようにすれば、
生きている力のあるものは、頭のほうが熱くなってしまう。
しかし、体力のない者は、足を温めることによって、そのまま温まる。
いえ、温まるのは体力のある者もそうだが、体力のない者は、ともかく温めなくてはならない、ということがある。
同様、寒いときに温かいお茶やお味噌汁を飲んだほうがいい場合もある。
私たちは、厳寒の滝行をしたことも多かったが、そのあとの温かいお茶やお風呂は何より体を癒す。
いえ、これは真夏の滝行であったも、そういう人がいる。
つまり、個体差があるということ。
 
生きる力も乏しい人に断食をさせたために、そのまま血液が酸性に傾く傾向にあり、
自分の骨を溶かす病になった方を何年も個人指導(整体指導)してきたことがある。
玄米菜食を数十年続けたために、必要ないガンを作った人も知っている。
断食がいい、玄米菜食がいい、とは必ずもいえない。
良い、悪い、というのは、その人の個体が決める、ということ。
 
ほのぼのと気持ちよいぬるめのお風呂にゆったりと入ることを続けるのは、
血圧降下剤を常飲していると、何かのときに脳の血管が破れるのと同様、
脳溢血の製造法であるが、
しかし、ノイローゼとか、イライラしているとか、頭に血がいっているときには、
その入浴法が大変効く。
実際、脳溢血になった人は、そうしたぬる湯の長湯が、脳溢血の治療法になる。
すべて、個体差がある、ということ。
つまり、健康を考えるとき、生きている力を観なくてはならないのであるが、
それには、個人を観なくてはいけないということ。
 
そして、今の脳溢血の例でいえば、
「治療法と健康法とは違う」ということもあろう。
これが四つ目であるが、
〇〇でガンが治った、ということがあっても、その〇〇を普通の体力のある人が行っていると、かえって・・ということが多い。
多い、というかほとんど全員だと感ずる。
 
これは応急手当のことを考えると、よく分かるであろうが、
たとえば、心臓も呼吸も止まったとき、私たちはある応急手当を行うが、
それを普通の人にすると、心臓に負担がかかる。
喉にものを詰まらせたときや、食道も同様。
喉でいえば、喉の激痛をとる応急手当を普通の人に行えば、その日から喉を腫らす。
私は、中耳炎操法の練習のあとに中耳炎になったことがある。
まだ埼玉の上尾に住んでいたときであったが、あまりの痛さに赤羽駅に下車し、
プラットホームで、多量の耳垂れと痛みに、ずっとうずくまってことを思い出す。
 
治療法と健康増進法はちがう。
この四つ目のことも、結局、個人のからだがちがう、ということ。
人によっては、温めなくてはいけないこともある、ということ。
普通の生命力がある人なら、むしろそうでないほうが、結果として温まる力がつく、ということ。
 
そしてまた、個人によって違う、ということは、
その個体によって生きる力が違う、ということだ。
つまり、結局は、“生きる力”をよく観るということに戻る。
 
野口晴哉師は、晩年、整体“操法”をまったくしなくとも、
お風呂の入り方だけで、いかなる人でも、いかなる状態であっても、
整体操法の代わりに、お風呂だけで整体に導くことができる、
といっていた。
 
これは、著書の「育児の本」や「子育ての記」にも書かれていることだが、
それなのに、どうして、画一的に「このように温めるといい」という入浴法や温法が提唱されているのか。
こう弾けば、全員が感動する、と思っているのだろうか。
つまり、彼は、整体操法のような手当ての次に、入浴が大切ということをいいたいわけではない。
手がなくなっても、口で整体の指導はできる、とも言っていた。
最晩年には息子さんに、手足も口も失っても、何もかも失ったら、薬を使っても相手の方を整体に導く、と言っていた。
 
感覚として、一つになれた演奏ができたときには、
これは、整体指導と同じだと思ったことが多い。
一つになれたとは、自分の演奏とだ。
つまり、共演者とともだ。そして観客とともにだ。
これは音楽に限らない。
だから、あらゆる芸術は整体、健康の道であると思う。
息一つ。するとすべてひとつ。
而して、人の健康、そして芸は浮かび上がるものに過ぎない。
だから、芸術と健康法は、その根幹は全きひとつである。
 
私たちが生きる力。
生きているということ。
 
もう一度、再考する必要があるのではないだろうか。
 
人は生きている。
そして、その個体によって生きる力はちがう。
そのそれぞれの個体によって生きる力が発揮できるようにしていこう。
あるときは守り、あるときは鼓舞し、
またあるときは別の角度から、またあるときはすべてを忘れ、
生きる力を十全と発揮させよう。
 
そのキーワードは、水落と丹田。
つまり、楽(らく)と楽しいである。
 
 
 
 

 死 (そして一日一生)


  熟睡している者の顔は皆同じ。

がんについて

 
4月号(会報)の近況報告にも書いたので、ここにも公開されると思うが、
お薦めのCDがいくつかある。

何より「幸せになるための秘訣」。
整体に興味にある方なら他にも、
「遠隔整体入門」「愉氣法講座」「高等講座」の三部作。
これはは、どんな初心者に方にもお薦めしたい。

あとは、
「放射能講座」と「がんについて」。
(※なお「がんについて」を聞く(観る)前に、
37の病院・医師をまわり 僕はがんを治した」(福島正伸著WAVE出版)を一読されるとうれしい。)

※4月からは早稲田大学での「野口整体入門」がまた始まる。
  (前回キャンセル待ちの方が多かった講座だ。ただ、せっかく4月から出るなら、横浜道場での「整体法修得講座」をお薦めしたいけど。
※そして、4月末、ゴールデンウィークからは、氣道そのものを学ぶ『氣道の学校』が始まる。
 今から楽しみだ。

(久しぶり┄)

  久しぶりの投稿である。(日記が年記になってしもうた。)

 ヒロ齒科のこづえ先生より教えて頂き、著書を読んだところ、全部が「氣道の学校」(中等=愉氣の学校)で伝えていることと同じだったので紹介まで。(「すでに愛の中にある」大和田奈穂さん)。 なお、サイトで、私が観た中から一つ紹介すると、https://www.youtube.com/watch?v=RMS24aphhJI )

 上述したように、まさに「氣道の学校」特に前半で紹介している内容だし、いつも感じている事と全くなので、見ても聞いても、その意味での感動が全くなかった。(これはクリシュナムルティの本を読んだときも全く同様。そうした、同じことを言う人がいるんだ!という意味では久しぶりだったので紹介まで)

 ただ、そこに行くまでにも促しとなるメソッドがあるのでは、と思って、私たちは身体からのアプローチも行っているのだが、改めて考えさせられはした。


 その意味でも、ゴールデンウィークの「氣道の学校」が今から楽しみ。

 (やっぱり、一度、死ななくてはね!(「過去に決別を」という意味でもOK) ちなみに「氣道の学校」の後半(夢の学校)の内容に一番近いのは今のところ奥平亜美衣さんかなぁ。バイブレーション的には仁さんも好きだけど。)

 なお「氣道の学校」では 愉氣だけしか行わないし、そして、ただただ、愉氣を深める研修をするだけなので「愉氣の学校」とも呼んでいる。

(久しぶりに一時間ほどの時間ができ、竹内敏晴さんと甲野良紀さんとの対談を観ながら、しかも日記も書けた)

 合掌。

 

 

近況報告

(この記事は、2月会報に掲載れた記事を、スタッフが代理で投稿しています)


 とにかく、ふんだんに生水を飲むこと。

 その飲み方はスケジュール表の脇にある「如月の整体」に書きましたが(ぜひご参照下さい)とくに今年は生水が大切です。

 そして、食(生水も食ですものね)よりも、それを吸収する身体のほうが大事。

 生水が吸収できない身体もあるのです。

 (身体と心は一つ。だから「乾いた心」という表現もあるわけです)

 そこで、確か睦月の整体にも書いた「腕の三点セット」や「肩上げストン」その他を行えば、少ない生水でも十分に吸収できるようになります。

 なぜなら、体の乾燥は目や頭の疲労から生ずるからです。

 どんなに空気が乾燥していても、体の弾力さえあれば、生水も存分に吸収できます。

 そうすれば生水も喜びます。

 どんなことも、まずは外ではなく内。

  (鶏と卵はどちらが先か?…ということです。)


 さて、今月のお薦め講座は、スミさんの「犹詢浪麌〞速読法講座」。

 普通に読んでいるだけで、なぜか読書スピードが2倍以上になる。(7倍になった方もいらっしゃいます)

 そして真さんの「呼吸法講座」や、まっちゃんの「穴追い練習会」、晶ちゃんの「穴追いの会」や、ゆん君の「整体法修得講座(初等)」なども。

もしご受講されていない講座があれば、ぜひご参加をお薦めします。

 そう、大森道場では、支部開設記念講座(氣道会)も行います。(これは私ですネ)


 2月は、春入り直前で最も潛在意識(=体)が変化してゆくとき。だからこそ整体もお薦めしているわけですが、3月になる前に、潛在意識(体)を整えるさまざまな貯金をしましょう!     

(長谷川淨潤)




近況報告

 

(この記事は、1月会報に掲載された記事を、スタッフが代理で投稿しています)

 

新年明けましておめでとうございます。

今年も、皆さんの健康が発露できるよう、張り切っていこうと思っています。

私自身の今年の抱負は「明」。明るい一年にしたく思っています。

今回はここの文字数スペースが多いので、以下、今年前半気のスケジュールを簡単に記載しましょう。

 まず1月は、25周年の幕開けということで、「一年をつくる」新春自動運動会から始まります。(私の読経やピアノ、そして親友のつの犬(東洋一のドラマー)と竹内直さん(世界的にも有名なSAX奏者)のBGMによる自動運動会。「夢カレンダー」もお忘れなく!(今年使う手帳が別にあればそれ「も」)

 *編集注:こちらは去る1/3に、大入り満員の皆様で開催されました。

 3月は、10年ぶりの「音楽の学校」(聴覚から体を整え、能力を活性化する方法)、そして視覚からのアプローチとして「The速読法」。

(“忘れなくなる”など、頭がよくなるだけでなく、体調も良くなります。だから<一生に一度はぜひ>!)

 3月末は講座より何より、【DVD(CD)目録】が皆さんのお手許に届きます!

(ぜひ皆さん、楽しみにして心待ち下さい!)

 そして、日本を代表する心理療法家、東豊先生とのジョイント講座も京都にて。

27日予定。8月は東先生の“心理的援助をされたい方への特訓コース”も!(20&21日芦屋道場にて予定)

 4月からは「整体法修得講座」の開幕!(今回は月2回。3ヶ月でのマスター。前回多くのキャンセル待ち続出だった早稲田大学での「整体入門」も開校。)

 5月は、文字通り『氣道の学校』(別名、「愉氣の学校」愉氣を磨き、天心の愉氣を修得し、天とひとつになり、夢を実現できる講座です!)をゴールデンウィークに開講!

 そして、7月と8月は、<大人の水浴び>滝行!そして砂浴。

(山中での水の禊で丹田を培い、海での大地の禊で水落を弛め、整体になります)

 ・・・ざっと書きましたが、何よりのお薦めは、文字通りの「氣道の学校」。

これまた『一生に一度はぜひ!』なのですが、実は、心(というか魂?)のお稽古事講座。

 ですので、なるべく早めにいらっしゃって、必要あれば何度でも天心を味わいましょう!

 

 講座ばかり書きましたが(他にも行いたいです)、氣道の個人指導である整体も顔晴ります。

 そしてまた、私以外の方の整体や、講座も、心からお薦め。

 一番のお薦めは「個人レッスン」。(これは、どんなリクエストに答えて、色々なことが学べます!)

 二番目は、「温熱療法」。(これこそ、いつも申し上げている「一生に一度はぜひ」の講座。6万人以上のガン患者を食事療法無しで快癒させた三井とめ子さんの遺産です!)

 三番目は・・うーん、悩む。「砂浴」もいいし、「珈琲の学校」や「ワインの学校」「日本酒の学校」もスゴイし、大人気の「鍼灸整体」は言わずもがなだし・・

 いや、本当に答えが難しい。

 ぜひ、スタッフの指導、講座、活用してください。ほんとう、みんな魅力溢るる指導だし、素晴らしいです。(私の指導が(体力状況のため)人数制限しているからではないですよ!私自身も活用しているのですから。)

 

 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

(長谷川淨潤)

近況報告

 (会員の方もまだ見ていない!!・・次号会報で掲載予定の「近況報告」より抜粋)


 「天心の愉氣」といってもピンとこない方もいらっしゃるのかもしれない。
 天心とは無心のこと。
 どんなに雲があっても、雨でも、その上には大きく広がっている青空がある。
 そんな気持ちで生きていけたらいい。
 その気持ちを天心という。天真ともいう。 無心とも、神人一如とも、瞑想と一つ、ともいう。
 悩みがあっても、その上には清々しい青空がある。
 そこから愉氣、つまり気持ちを向けることを「天心の愉氣」という。
 いえ、そこから気持ちを向けようと努めると愉氣も天心に近づいていく。
 
もうすぐ私たちが一番楽しみにしている講座が始まる。

 『愉氣の学校』だ。
 別名、「幸せの学校」、「心の学校」ともいう。
 氣道の学校としては体の学校(初等)に続く中等に位置する。
 天心を味わいたい方、そして新鮮に人生を創りたい方にはもちろんだが、整体に興味のある
 方、特に「整体法修得講座」にご参加の方こそぜひご参加をお薦めしたい。
 
 整体は、愉氣は、そこから始まるから。

 それを愛と云う。       

(長谷川淨潤)
 
 

近況報告

 (会員の方もまだ見ていない!!・・次号会報で掲載予定の「近況報告」より抜粋)

 


 早いもので、氣道ができて四半世紀となった。11月の23日はその誕生日。


 氣道の写真集の出版記念祭や、時折りライヴも行ったので、ご存じの方も多いであろうが、

横浜関内の「カモメ」にて誕生会を行う。


 詳細は、この会報内のお知らせ頁や案内頁をご参照頂くとして、

今回は20周年祭のように大々的に行うのではなく、こじんまりと、ほのぼのと行わせて頂く。


 久しぶりに盟友のつの健(彼とは34年間の付き合いだ)ともデュオを行ったり、ソロピアノも弾くが

(合計1時間くらいだろうか)、この四半世紀を振り返り、しみじみと和やかに行いたい。


お時間のあられる方はご来場ください。


 思えば、この間に亡くなった方も多かった。氣道を興す直接的なきっかけをくださった

吉本武史先生もその一人だ。その後も先生は何かにつけてご援助をして下さり、

亡くなる数年前には氣道を元気づけるためにと、横浜道場で再び講座をして下さった。


 しかし、考えてみれば、新しく生まれた命は数限りない。そうして今も、毎日のように

赤ちゃんや妊娠中のお母さんに愉氣(整体)し続けている。

 四半世紀という時は経ったが、これからの未来のためにこそ、今後も一人一人に愉氣し続けていきたい。


 そう、来年早々には、今までの講座のテープ集(CD&DVD目録)も復刻される。


これまた私たちの遺産とはいえ、改たな生命の誕生であり、未来に向けた私たちの愉氣だ。

 その中には、上で書いた吉本先生の数々の名演も入っている。


25周年に向けての今一番の楽しみでもある。


 どうぞご期待頂きたい。


(長谷川淨潤)

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