整体の魅力

今日の【整体の学校】では、
私が感ずる整体指導(整体操法)の魅力、
つまり、整体指導(整体操法)を行わせて頂いて、
ほんとうに嬉しく思うことを話させて頂いた。

それを、今日の日記でも書きたいな、と思ってここに向かおうとしたのですが、
「そうだ。その前に、“整体を受ける魅力”について書いてみよう」
と思い立ち、今、書き始めようとしています。

そうですね。
まずは、これは自分が「整体」に近づく魅力です。
そう。
「整体」という言葉は、本来、整体という体が整った『状態』のことを指すのであって、
整体をすることではないのですね。
「整体」とは、“体が整った状態”。

ですから、このブログの表題である『整体の魅力』とか、
上で書いた“整体を受ける魅力”という表現も、
本来は、ちょっとおかしいのですね。
ほんとうだったら、
“整体指導(整体操法)を受ける魅力”
と書くべきなのです。

ちょっとややこしいので、
整理しますと、
1、「整体」とは体が整った状態のこと。
  (そして体と心は一つだから心も自ずと整っている。
そして、その状態は別名、自然体ともいわれる)

2、その「整体」という状態に相手がなるように『援助』していくのが「整体指導」。
3、そして、その「整体指導」には、
体からと心からの二つのアプローチがあって、
”体からのアプローチ”は、手当てを原点とした“整体操法”。
”心からのアプローチ”は、言葉を用いた“心理指導(潛在意識教育)”なのです。


分っかるかなぁ。
分かんねぇだろうなぁ。
…ではなく、分かってほしいのですが、
分からなくとも、以下、そうした「整体指導」、
特に体からのアプローチである「整体操法」を受ける魅力について語っていきますね。

というわけで、
話が戻るのですが、
自分が「整体」という状態に近づくという魅力。
これはかけがえがないなぁ、と思います。

つまり、「整体」という状態”自体”を実感できる魅力ですね。
そうなると、
「整体」という状態の説明にもなってしまうのですが、
自分自身の個人的実感としては、
まずは、

体が軽くなること。〜透明になること。

体の存在が無くなっていくこと。

もちろん心も軽くなり、心というのがあるんだ、というくらい心以外の本来の自分の存在を気づけること。

気づけるというか、そちらに引き込まれるというか、ほんとうの自分はこうだったんだ!という状態を思い出すというか、実際にそうなっていくこと。

そう書くと、瞑想みたい、とか思うかもしれないけど、実際、整体を受けるとはそういうこと。

つまり、自分一人で頑張って瞑想や自動運動を行っても、なかなか難しいところをスッと援助してもらえること。

透明、クリア、天心、タオ、無、空に最短で近づけること。

それでいながら、体に戻れば体は軽く、体力も持久力も格段にでること。

心でいえば、明るい方向に向きやすいこと。というか自然にそういう方向に無意識的にいくこと。

そう、とりわけ、そういえばこのところ、なぜか知らないけど気にならなくなった、ということが本当に起こってくること。

いえ、今まで気になっていたことが、一回の整体指導で雲散消無してしまうこともあること。

もうちょっと具体的にいえば、

そうですね、やる気がなぜか出ること。(数日とか時間をおいてのこともある)

抱えていた症状に対して「あっても大丈夫なんだ」と思えること。(そのためか、自然に無くなってしまうこと多々あり)

他人に対して、優しくなれること。(これは自分で気づくより周囲に言われること多し)

他人に対して、こうすると良い、というアイデアが浮かぶこと。

そう、アイデアは他人のことだけでなく、なぜか色々と、フッと浮かびやすくなる。

明るい展望、夢を持ちやすくなること。(とっても。そして自然に。)

頭の回転が良くなること。(左脳モードになるのではなく、軽くなる感じ)

無駄な?性欲がなくなること。

余分な感情はほんとうに無くなります。

夢の実現は、たしかに加速される感じがします。(…というか、シンクロニシティが連発する)

そうですね。別のパラレルワールドに移行した感覚を覚えることもあります。

手を触れられたときの温かさに、なんとも言えない感情を覚えること。

それは、人の温もりのありがたさ、の時もあるし、そうでない静謐さの時もあるし…

自分自身の体の疲れていたところ、負担をかけていたところに気づかされることもあります。

そういう意味では、自分が自分で思っていた体ではない、無意識を意識化できるというか…

自分に隠れていた体の力を引き出された感覚を覚えること。

体の力だけでなく、能力を引き出された感覚を覚えたことも縷々あります。

いつも行っている自動運動の質や動き自体が変わってしまうこと。

上と重複ですが、瞑想が深まること。(もちろん内感も)

趣味の将棋が、格段に強くなること。(反対に一時的に格段に弱くなることも…)

即興演奏(ピアノ)は、格段に変化する。(何かが乗り移ったのではないか、と思える位の演奏が出来たことも何回かあった)

視力が良くなったこと。

仲間や近しい方、家族、両親に対しての気持ちが変化すること。(これは、いつも割とすぐに)

味覚の変化。(これは当日は、ほぼ毎回)

眠り、そして翌朝以降の目覚めの変化。

仕事自体の直接的な変化。

……あぁ、切りがない。。
まだまだあります。
 (いや、しかし、ちょっと思い出してみただけで、こんなにもあったのか。。)

冒頭でも書いたように、
明日以降は、反対に「整体(指導)」を行うことの魅力について語っていきたいですが、
いやいや…
明日、さっそく事務局に電話してスタッフ整体(指導)の予約をしようと思いました。
(あ…明日は月曜日なので休みであった)
そう、
10代、20代の時は、整体指導(整体操法)を受けるということは依存になってしまうのでは、
と思っていたのですね。
ですから、まずは自分自身でキチンと体を整えていかなくては、と。
そして、
そのため、30代になって独立してからは、
そのきっかけとなった心理療法の影響や快医学の影響もあって、
(氣道)の整体指導は必ず宿題を出す、
としていたのです。
(しかも会員証には「会員の方は必ず自動運動を研鑚してください」とも銘記して…)

その位、整体指導(整体操法)というのは、
何も指示(課題)も出されず、まるで受けるだけで良いじゃん、
というような形態だったということでもあります。
ですから、私がそのような
「まずは自分で自分の心や体を整体に!」
という形式、体制にしたのは、
ほんとうに伝統破りというか、常識知らずというか(今でもですが)
整体界にとってはコペルニクス的な変換というと大げさですが、
かなりの思い切ったことではあったと思います。
(そのあとは、操体法を紹介しはじめたところで、整体界から様々な反駁意見を伺いました)
ところが、
一年たち、数年たち、なじんできて、
そして今では「先生、今回は宿題ないのですか?」
とまで言われるように。

変われば変わるものだなぁ、
と思います。
しかし、今では、そう聞かれて、
「いえ、何も必要ありません」
と答えることも。
おいおい。
それって、数十年前から、K先生やR先生やJ先生やO先生に私自身が言われていたフレーズと同じじゃない?
と、自分でもそう思ったのですが、
単にそう言うのと、
一巡りして、「今は必要ない」と言うのとは、
私の中でも、そして相手に伝わる響きも違うのではないか、と思っています。
つまり、今のあなたの感覚、体の声、心の声にしたがって「大丈夫」なのですよ、
ということが伝えられているのではないか、
と思っています。

そして、そのように、
整体(指導)を受けることを、
自分のいのちの働きを伸ばしていく“体育て”
のための“お稽古事”として捉えてくださる方が、
最近では少しずつ増えていらっしゃること。
これはほんとうにうれしいことです。

あっ、受けるほうのうれしさ、魅力ではなく、
行うほうの立場での感想になってしまいましたね。

それはまた、日を改めて
早めに書こうと思っています。

その前に、
そうした体育てのお稽古事、
まずは自分自身が更なるお手本を見せなくては。


(一応、このところ、キッチリと自分の体を整えること行っているのですよ。
何より相手の方の整体指導をするため(仕事ですから)という義務感も大きいので)








 



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