人生は音楽。 …而して生の本質(命)は無(全)。

●人生とは音楽のようなもの。
 即興演奏の場合、共演者と息一つになっていると、
 全く同じタイミングで全く同じ音を出すことが多々ある。(=ユニゾン)
 場合によっては同じフレーズまで。
 こうしたシンクロニシティは人生でもそう。
 自分自身が息一つの時というのは、人生がシンクロの連続というか、
 シンクロニシティの世界というのがまさに人生なのだという感覚になる。(=ゾーン)
 そして、この感覚はまさに演奏している時の感覚と酷似している。
 そういえば、動くことも、話すことも、対話をすることも、すべて音楽だ。(ま)があることも。
 否、絵画も、その他の芸術も皆そうであろう。(特に書は音楽そのものだ)
 その一面を表した言葉が“引き寄せ”という氣の感応動向現象であろうが、
 それは現象の一面を捉えた言葉であって、人生は音楽のように流れている。
 ただ、これは人生を時間軸でとらえた実際的な感覚であり、
 この感覚を覚える時、人は時間軸つまり相対世界、エゴ、思考と共にある。
 実は、私たちの生活は連続していない。
 元の氣に近づくほどに、時間と時間の隙間がみえる。
 その中の空、無という息と一つになった時、人生は音楽ではなくなる。
 琴の名人が琴を捨てたという荘子の一節のように音楽は相対世界での流れに過ぎない。粗い。
 沈黙という間と共に音がある時、
 かつての山下洋輔が演奏中に演奏の終わりまでが見えたように、時間軸の中でありながらも自由な存在となり(=ゾーン)
 更には音であって音でなくなる。
 野口晴哉師は「我が伝えたこと。虚の運用也」という内容の言葉を遺して逝ったが、
 元の氣(=タオ、空、無)と共にありながら、我々は思考を持ち時間軸に生きる。
 



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