夢日記

帰宅し、なぜかこの日記に向かってしまった。
(これは仕事をしたく無いという逃避行動ではない。
 私の仕事がこれなのである。
 この年(繰り返すが36才である。もうすぐ二回目のに近いが)になると、
 この人生で本当にやりたかった事に気づく、ということがあるのだ。
 福山何とかがそうであったように、釈迦牟尼仏陀がそうであったように、
 俺はラジオで本音を言うのが本当にやりたかったことだ、とか
 王様になるのではなく、スジャータ姫からお乳を飲みたかったんだ、とか。
 まことに人生というものは、若いときには分からぬところがあるものなのだ。)

そして、つらつらと書いたのであるが、
素晴らしい文章であったので、
これが何かのアクシデントで消えてはいかん、
…と思い、コピペをしたのだが、
すると、すべてが消えてしまった。
ふっふっふっ、
だからこそコピペをしたのだ、
と思い再現しようとしたが、作動せず、
消えた白い画面を唖然として見つめていた次第である。

これが若いころだったら、
●今朝の起床時の一抹の不安気分
●なぜか夢遊病のように夜、冷蔵庫を開ける前世の記憶が。
●ローソン、サンドイッチがなぜか食べかけになっている事件
●この二日間の日記、いいです!と言われた事件。
●今日の講座の素晴らしさ
●整体(指導)の素晴らしさ
●私自身の素晴らしさ
●財布を忘れたために伊勢佐木町でボーッと10分立つ素晴らしさ
…などなど、
今日書かなくてはいけない原稿も書かず、
メールチェックもせずに、
この日記に向かった努力が水泡に帰したことに、
色々な思いをしたかもしれない。
・この労力と時間を無駄にしないためにコピペをしたのに、とか
・かえって、それが裏目にでるとは、どういうことか、とか
・やっと天職が見つかったというのに、また転職か、とか、
・そういえば俺の人生って、いつもこんなもんだよな、とか、
・あの人、どうしているのかな、好きだったよ、とか。

亀の功より年の功とは良くいったものだ。
そのため、私の背骨は、亀に近づいている。
ともあれ、以前にはカチンときたり、色々な思いもしたが、
上記のようなことも、今はまったくなく、
あぁ、消えたのね、
と思えるようになりたい。
(変換ミス)

ともあれ、水泡に帰したのは仕方ない。
普通なら、ここで、行わなければいけない仕事に向かうのであるが、
私はめげない。

きっと皆さんもそうであろう。
ほんとうに実現したいことがあるなら、
そこに邁進するであろう。
たとえ、それが文章であったとして、
その文章が全く違った文章になったとしても。

そうだ。
私たちは、やりたいことをやれば良いのだ。
いのちの運びはそうなっている。

たとえ、今日書いた全ての文章が白紙に戻り、
そのため、完全な思考停止、
つまり真の瞑想状態になった人もいる。
それすなわち、悟りではないか。(違うよ)

そして、悟ったあとに、
このようにまたチャレンジするということ。
まさに禅。氣道。
大乗仏教の姿ではないか。

心理療法の目的とは、
ということで、恩師は「自己弁護」と仰った。(「自己受容」だよ)
しかし、今、こうした自身のチャレンジを思うに、
よく頑張っているなぁ、
と自分に声をかけたいと思う。(その前に、よしきさんやスタッフに声をかけろよ)

イエス・キリストも言う。
左の頬を打たれたら、右の頬を打ち返せ。
と。
そんな乱暴なことは私はできないのであるが、
こうして、この数倍の文章を書き、
それが一瞬に白紙になったという解脱経験をした私からすると、
このチャレンジは、
大乗仏教やキリスト教にも通ずる何がしかができたか、
と思う今日びこの頃である。

合掌




 


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