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旅立ち
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    京都、素晴らしき仲間に会った。
    素敵な時間だった。
    そういえば、それは、お盆の整体法修得講座(整体の学校初等&中等in東京道場)
    から始まり、
    そして今回の京都のひとときに流れたのかもしれない。
    横浜の自宅に戻ると、玄関に一匹の珍しいセミが…
    そう、ここは、さまざまな昆虫がまるで最期の場所を探すかのように現れる。
    そして同時に、
    今まで何匹ものセミの幼虫が、この家で羽化したのだった。

    今回の京都の旅での最後のサプライズは青木宏之先生とのひとときだった。
    私は横浜へ、先生はこれから京都に、
    …という互いに交差するわずかなひとときを、
    京都駅のグランビアの喫茶店で、
    冒頭の素晴らしき仲間たち(それは、そこにはいらっしゃれなかった方を代表とした方々)
    とも過ごせたのであった。

    その一匹の珍しいセミの亡骸を家中に連れたあと一時間後、
    「珍しいチョウチョがいたよ」と。
    偶然の続きのパラレルワールドにいる私としては、
    もしかしてと確認し、その場所まで走った。
    もしかしての通り、それはオオミズアオであった。

    生きている間に見ることはまずないオオミズアオに、
    私は生まれてからこの数十年の間に一度だけ会ったことがある。
    それは、少年の頃、自宅の庭であった。
    あまりの大きさと壮美な美しさに圧倒された。
    その後は、本の中で出会った。
    「ほう歯の下駄」(全生社)の中にあった野口晴ちか先生の奥様の妹さんの魂として。
    今、私は、最期の息を掌の中に感じつつ、自宅戻った。

    恙ない命の流れがある。
    仕方ない生の流れがある。

    その中で、
    時にうなだれ、時に歓ぶ私がいる。
    それでも、恙ない命の流れがある。

    天行健

    戦争の最中、この言葉を書いたのは、先の「ほう歯の下駄」の著者の父である近衛文麿だった。
    野口先生は、その書を書かれたことを知り、妻を義父のところに行かせた。
    翌日亡くなることを知っていたからだそうだ。

    そうして、
    また風が吹く。



     
    | 長谷川淨潤 | 19:50 | - | - |

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